2024-11-21
懐かしい NO- 10186
昨日リハビリに行ったら久し振りに懐かしい関JY仲間の女性が来られていた。私のCD「慈曲」や小説「あの世の旅」をご笑覧くださった方で、先生方と何度か一緒にしょくじをしたことがあった。
ふと彼女の足元を見ると、片方が訪台に包まれエイル。どうしたですか?と聞いたら部屋の中で転倒されて骨折れたそうで、まだ一週間も経っていないと知った。
我々高齢者骨折する危険性が高く。私も何度か転倒しているので気を付けよう。数日前の深夜番組を観てたら、京成電鉄を放送していた。上野から成田までを結ぶ路線だが、「アナウンスの流れる踏切」や「階段のある踏切」などが出てきて面白かった。
40年ほど前のことだが、サンパウロから来られる方を成田空港に迎えに行ったことがあった。妻と新館線で東京に行き、山手線で上野に行って京成本線で成田空港へ行ったが、当時は早い電車が運転されておらず、かなりの時間を要したと記憶している。東京から新大阪までのチケットを購入してあったが、八重洲の地下街で行方不明になり、列車を遅らせた思い出も忘れられない。
昨夜は一睡も出来ずに朝を迎えたが、テレビを付けるとラビットの番組が流れ、オムライスで有名な北極星の社長北橋氏がシェフの姿で登場され、オムライスの歴史についてお話をされていた。
妻の友人が大阪レストラン協会に入っていたところから妻もメンバーの旅行などにご一緒したことがありヨーロッパにも行っていた。
その後ゴルフの交流が始まり、北橋さんの主宰されるコンペに参加することになり、名門コースである鳴尾ゴルフ俱楽部でご一緒にラウンドしたことがあるが、私のシングルパーティーに来ていただいたこともあり、北橋さんがシングルになったら私が司会をすることになっていたが、その日を迎えることはこれまでに中って残念である。
5,6年前、熊本での講演に行く前日に妻の友人達と雲仙の宮崎旅館に行くことになり、長崎空港まで行ったら、先に出口に行っていた妻達が同じ飛行機に乗っていた人たちと話している。それが大阪レストラン協会の皆さんで旅館は知らなかったが観光バスで雲仙に向かわれた。
我々は高速船で時津港へ行ってン嵯峨崎駅から送迎バスで旅館へ行ったが、こんな偶然ンがあるとびっくりしたことを憶えている。