2021-02-25

思い出したこと  NO 8713

妻のいる施設へ行ったら、スタッフの方から「今日はデイケアループ橋サービスに出掛けられました」と聞き、そのまま所用のあった銀行へ行った。途中で自転車で追い抜いてい行った女性が停車され「お元気ですか?」と声を掛けられた。彼女は妻の友人で、何時も季節の果物を届けてくれるので恐縮あいているが、妻が入居している施設にお父さんが入居されていた時期があり、100才を施設で迎えられたこともあってびっくりした。

数年前に亡くなられたが、その事実を知ったのは半年も経った頃で、友人の割烹のおっかなオヤジに聞いた。

冒頭の女性と割烹のオヤジは従兄弟関係にあり、その事実は随分前から知っていたが。高齢だったお父さんは昔から交流があり、地域の重職にあられていつも葬儀に参列されるお姿を憶えている。

カメラがご趣味で地域のイベントがあるといつも撮影されており、現像された写真をプレゼントされていたことも知られている。

さて、前号で行きたい所に触れたが、「神戸が抜けている」という電話があった。神戸の公詢社の社長の存在を忘れてはならない、過去に大阪での研修会を合同で開催したこともあるし平成天皇ご夫妻がすっせきされた阪神淡路大震災の10年目を追悼式を見学させて頂いたこともあるし、社長から懇願されて全国から組長が参列される組葬の再会を担当したこともあり、私の携わった葬儀の歴史の1ページに残っている。

温泉で行きたいのは北海道の川湯温泉だが、鹿児島県の霧島ホテルの大浴場にも行きたい。この大浴場は誰もが驚くスペースで、プールみたいな大浴場を囲むように様々な泉質の温泉が存在している。

初めて行ったのは半世紀前のことだが、ライオンズクラブの友人達と阿蘇で豪雨に遭遇し、大雨の中を鹿児島空港36コースに移動し、次の日に霧島ゴルフクラブでラウンドした思い出もあるが、ホテル内の食事処である「杉パレス」の空間はまるで資質な世界で、もう一度行きたいと思っている。

私の中学3年生の知己の同級生で、米国の大学で土木工学を学び、帰国してから道路公団で九州自動車道、四国の高速道路も担当zしており、何時も葉書で勤務している知のことを知らせてくれ、旧芦生所同社道を担当していた頃に工事現場に行ったことがあり、その時は林田温泉に宿泊したが、熊本側からえびの高原へ行くのに通ったループ橋も彼が携わっていたことを知った。

林田温泉のホテルは、その後に「岩崎グループ」が経営していたが、現在は閉業している。「指宿」にあるホテルいわさきに宿泊したことがあるが、それは娘ファミリーがアメリカへ行ってシマウマ絵に初孫と過ごした思い出があるが、2泊の予定だったが、私は北海道の葬儀式場「ステラホールのオープン式典阿が重なってしまい、鹿児島空港から新千歳空港へ飛んだことも懐かしい。

ステラホールは立派な空間で、雪の対策で玄関に繋がる階段も雪が解けるように暖房設備が整っていた。

半世紀前に霧島へ行った際は、トヨタのレンタカーセリカで、神戸から日向へフェリーで言ったものだったが、港の営業所にはセリカがなく、宮雑魚の営業所までカリーナで行ったことを憶えている。

イタリアで知られる火山「エトナ山」だ大噴火が発生しているニュースもあったが、火山大国の我が国も噴火が発せししないように願っている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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