2021-02-22

疲れることばかり  NO 8711

一昨日、モーニングタイムを過ごそうと喫茶店へ向かったが、商店街まで行って気付いたのがマスクを忘れていたこと。仕方なく自宅へ戻ったが、眼科の予約時間の間に合わないことから疎開道路からタクシータクシーを利用した。

診察券を紛失していたので再発行をお願いして検査を受けたが、瞳孔を開けるための点眼液にまた泣かされることになった。少しの光も眩しくて仕方がなく、そんな状態が5時間以上も過ごすのだから最悪だが、右目の奥の写真を撮影するためには不可欠で、視力検査を終えてから先生のおられる診察室に入った。

右目にオーストラリア大陸みたいな物が見え、その部分が見えないので困っているが、これはもう手遅れなので左目を痛めないように気をつけて過ごさなければならない。

「前回壊と変化はありません。次回は5月に」と予約をして帰宅した。昼食に出掛けても眩しくて最悪。不自由な目で路面の凹凸が分らないので躓かないように歩くので、脹脛に力が入る。

2月19日は妻の誕生日。施設に行くとすでに妻の友人からのプレゼントが届いていた。もう四十年以上続いている3人組の友人関係で互いの誕生祝いを続けている。

妻と同日生まれのお寺の坊守さんもいるが、ご住職は私と度同年生まれで互いの健康が気になっている。

施設からの帰路、いつもと異なる道を選択した。途中で広い庭の或る家の前を通った。庭の首位を囲んでいたブロック塀が全て壊されている。地震での崩壊に関して撤去されたと想像するが、

末巳恵になった庭には井戸や金柑の来はあり、いっぱい実が付いていた、このお家は私がこの日毎に従事してから初めて使命を受けた葬儀なので忘れられない。お子さんがおられないお医者さんがご逝去され、「あなたなら先生の葬儀をお願いできるわね」と奥様に懇願されたのが「無宗教形式の葬儀。2日間真剣に考えてシナリオを届けたら「満足です。これでお願いします」と進んだが、私の20代の頃の発想としては特筆レベルで、多くの参列者からゼッさっzされ、ポケットに入れていた十数枚の名刺が亡くなった出来事が印象に残っている。

その葬儀が終わってから数日後のことだった、近くの路上で奥様とばったり「有り難う・親戚の人達綾会葬者から本当にゼッさっBされて喜んでいるのよ。でもね、私の先生は何処へ行かれのでしょか?」。

それは、宗教という対象物が存在しなかった盲点で、私が「司会者」から」「司式舎」を目指したきっけでもあった。

今日はニュージーランド地震から19年目となる。来月に東日本大震災が発生するなんて想像もしなかった、多くの日本人学生が犠牲になっていた。

最近、大きな地震が多発していて不気味だが、南海トラフの大地震が発生すれば50万人の犠牲者が出ると言われているが、大阪湾への津波到達まで2時間と予想されているが、輪早野近くの疎開道路の海抜が6メートルだと知り、東秘本クラスの都網が襲来すれば、3階や4階へ上がらなければならない。

今日、施設へ行ったら、また妻が転倒したみたいで、デイケアサービスを休んでいた。どうしてこんな同じミスを繰り返すのだろうか、部屋を出る前にナースボタンでしらせるようになっているそうだが、勝手に出て来て倒れるので始末阿が悪い。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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