2020-11-07

面会禁止  NO 8655

朝から医院へ行き、週一の処置を受けたが、生かされている内に不可欠な処置で、これから死ぬまでお願いをすることになる。

いつの間にか出来た左足の傷もかなり広範囲に症状が広まっており、処方された軟膏を塗布している。

午後からタクシーで病院へ行った。正面玄関の到着して支払いを済ませたら、運転手さんが「ここからははいれないみたい」ともう一度乗せてくれ、救急外来の入り口まで連れて行ってくれたが、警備のスタッフに「コロナによる対応で面会禁止となっています」と言われ、看護師さんに様子だけでもとお願いしたが、ナースステーションに確認しても駄目だった。

自宅に戻った夕方、看護師さんから携帯に電話があり、西の「ICU」から東の「ICU」荷移動したことを教えられた。私が今日の午後に病院へ行ったこともご存じだったみたいで「コロナ対策でどうしようもないのです」と言われた。

恋人と別れて傷心旅行に出掛けるケースがあるが、伴侶に先立たれた場合の旅行は行ったことのある場所に行くと最悪で、友人のことを心配しており、数日後に慰めに行って「昔話」という癒やしに繋がる薬で接しようと考えている。

昔話や思い出話はその効果が高く、昔から知っている彼女のことを話そうと思っている。

彼女と再会をしたのは友人と結婚したことで、不思議なご仏縁に懐かしくて驚いたが、前号で触れた「たこ焼き屋さん」の屋台が「豆炭」を使用しており、照明は独特の香りがするカーバイトだったことも話が通じた。

先代ご夫妻や先々代さんの葬儀を私が担当したが、始めて会ったのは林寺新家町で現在の林寺二丁目の交差点の近くだった。

私の新婚時代は現在もあるビワコ屋マンションに在住し、深夜に近くにあった彼女の店に何度も行ったことも懐かしい。

私は波瀾万丈の歴史を経験しており、小学校3年生の一学期は住之江区の加賀屋諸学校に転入し、2学期から東粉浜小学校へ転校している。加賀屋に在住していた、ころ、真向かいに消防署があり、サイレンの音がひっきりなしに聞こえていた。

東粉浜小学校に転校した時は住吉警察署の直ぐ近くに在住し、近くのパンメーカー豆新から甘い香りが漂っていた。

当時の銭湯の料金は12円だったと記憶するが、住吉警察署が人気のラジオ番組「お父さんはお人好し」の舞台となり、「花菱アチャコさん」や「浪花千栄子さん」を観に行ったことも憶えている。

小学校4年生の終わりに生野区へ転宅、小学校と中学生の3年間は阿部野橋から上町線で通学していた。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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