2019-07-11

懐かしい昔のこと  NO 8521

鷺温泉館公式訪問に行かれた眞子様がペルーに到着されたニュースがあった。随分昔にペルーのリマ空港でトランジットで3時間ほど過ごしたことがあったが、その時に不思議に思えてならない体験をした。

民族衣装の10才くらいの少年に付きまとわれ、「民芸品を買ってくれ」とせがまれたのだが、どのようにしてセキリュティーゾーンを通過したのだろうかということと、時間が午前3時を過ぎていたからだった。

帰路もリマ空港でトランジットで過ごしたが、午前中の時間帯だったので搭乗口のあるフロアの売店が開業しており、目に留まった土産品を10点ほど購入したのだが対応してくれた青年の算数のレベルにびっくり。メモに書き込んで足し算をしているのだが、「1上がって」というのをもう一度合算してしまうので私の暗算計算と異なってしまう。何度もおかしいと指摘したが伝わることはなく、余分な支払いをする羽目となった。 

そんな体験をしたことから我が国の学校教育の高度なレベルを改めて知ったが、当時はセキリュティーも厳しくなく、飛行中に操縦席の扉が開けっ放しだったことを記憶している。

それは42年前のことなので、まだハイジャック事件が起きていなかったからかも知れないが、今では信じられない光景であった。

外国旅行に行くと地球儀を思い出し、自分がいる場所を思い浮かべることになるが、時差が12時間という国に10日間滞在したので「時差ぼけ」が酷かった。

帰国してから1週間は仕事に出ることも出来ず、「これが時差ぼけか」と苦しんで自覚したが、時計の針はそのままなので不思議な感じを抱いていた。

病的な偏食である私は外国に行くと大変で、ハワイやオーストラリアに出掛けたときはネットで日本料理店を調べていたが、ハワイでは天ぷら料理ばかり食べ、朝食はホテルのバイキングで食べ過ぎ、5キロも体重が増えて帰国、数日後背中から腹部に異変を感じ、膵炎で入院することになってしまった。

膵炎になると「アミラーゼ」と「リパーゼ」の数値がびっくりするほど高くなるので採血検査をすればすぐに判明するが、治療は絶食で点滴だけの闘病生活になるので辛く、それから「アルコール」と「油物」の食事は避けなければならず、鉱物だった野菜の天ぷらや串揚げも食べられず、健康長寿のためにと自分に言い聞かせ、何とか今日まで生かされて北が、2回目の膵炎はそれから5ヶ月後の北海道旅行に出掛けて旅館の食前酒を飲んでしまったからで、帰阪してからすぐに再発入院となった。

それは土曜日に兆候を感じ始め、月曜日の開院を待ったのが悪かったみたいで、大阪鉄道病院と赤十字病院で11日間絶食という辛い思いをした。

この時は「微熱」があってだるくて仕方がなかったことを憶えているが、CT検査をの結果を診断された際、先生から「随分と芳しくないね。管理栄養士に献立を依頼しなければいけない

それから1年後に3回目の再発となった。友人達と夕食をした際に「ノンアルコール」のビールをコップ一杯飲んだことが悪かったみたいで、赤十字病院の先生や看護師さん達から「また来られましたね」と笑われた。

「車の運転に差し支えはないが、あなたの病気には駄目なのです」と先生に言われて後悔したが、前回の入院時にそのことを聞いておればと思ってしまった。

3回目の入院は4日間の絶食で澄んだが、絶対に4回目の発病がないようにと食事に気を付けているこの頃だ。

西瓜のヘルメットで電動スクーターで充電する出川氏の旅番組があるが、数日前に岡山県湯郷温泉の湯郷グランドホテルが登場していた。このホテルに何度か宿泊したことがあるが、初孫が2才の頃に発熱してぐずりだし、それが土曜日だったので医院が開院している時間にと考え、朝食を早めに済ませて中国道を急いで帰阪したことを憶えている。

湯郷温泉には同系列に「ポピー・スプリング」というユニークなホテルがあるが、ここも2回利用したことがあり、初めて利用した際にフロントでチェックインをしていると総支配人が出て来られ、「お久し振りです」と言われて驚いたこともあった。

彼は元大阪市内の知られる高級ホテルにおられて歴史があり、私が招かれた際に受講されていたそうで、不思議なご仏縁に手を合わせたが、特別な優遇サービスを受けて恐縮した。

湯郷温泉のホテルを利用しても大浴場には行かず、町営の温泉や「鷺温泉館」の個室貸し切り風呂がお気に入りで、宿泊せずに何度か中国道を走ったこともあるし、九州からの帰路に立ち寄って利用したことも何度かあった。

今日の写真は「湯郷温泉」の町営「鷺温泉館」を。
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