2018-07-17

再会  NO 8258

五能線遠方から友来る。そんな嬉しい日だったが、寺田町駅まで迎えに行ったのだが、妻の電話の勘違いからか何処かで擦れ違ってしまったみたいで電話があり、自宅前でインターホンを鳴らしても返答がないと連絡があった。

やがて10分後に会えたが、昼食タイムだったのでお好み焼きを食べながら、また秋の旅行の誘いを受けて嬉しくなった。

さて、東北から北海道の旅を考えている。それで思い出したのがこの仕事に従事してしばらくした頃の東北旅行だった。

ある新聞社のグループ会社が期間限定の広告取引企画を業界に提案され、一定取引額を達成すれば旅行にというものだった。

それは当時に多かった新聞の黒枠広告と呼ばれたもので、訃報を告知する広告代理店業務を我々業者が担当しており、大手の新聞社と契約を結んでいた事情があった。

記憶では半年間だったと思うが、達成したのは弊社と大手葬儀社ともう1社の3社だけで、旅行先を韓国と提案されたが、国内旅行の方がよいということになって東北行きとなった。

伊丹空港でびっくりすることがあった。出発に当たって広告会社や新聞社のスタッフが十数人も見送ってくれ、ロビーで「万歳」までしてくれたからで、広告会社の役員二人と5人の旅が始まった。

秋田空港で2回目のびっくりがあった。観光案内に準備されていたのは大型観光バスでガイド付き。5人だけで大型バスの観光が始まった。

宿泊した男鹿半島の旅館の夕食で3回目のびっくりがあった。食事会場は80畳の宴会場。舞台には一行の歓迎看板まで掲示され、食事の途中にサプライズで「なまはげ」が登場したからだが。広い宴会場で5人のお膳が並んでいる光景を想像されたらどうだろう。

次の日の観光は八郎潟は入道崎に行ったが、帰路は夜行列車で上野まで乗車、東京駅から新幹線で帰阪したが、夜行列車も新幹線も当時はグリーン車でなく一等車だった。

同行した大手葬儀社の専務の話が印象に残っている、中でも伊勢に出張して担当されたという御木本真珠創業者の社葬のことが勉強になったが、その後に発刊された社史にも写真入りで紹介されていた。

この大手葬儀社営業部長だったN氏にも可愛がって貰った。氏は「諸行無常」というタイトルの著書を発刊され、頂いたことを憶えている。

東北にも多くの友人や知人がいるが、勧められている五能線のリゾート列車「しらかみ」を利用したいと思っている。日本海に沿って走る車窓が絶景だそうで、死ぬまでに一度はと考えていたが、ぼちぼちその時期かもと考えるこの頃である。

今日の写真は五能線の日本海の絶景を。奇岩でも有名である。
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