2018-06-10

ゴルフと卓球  NO 8222

前号でゴルフのことに触れたが、六甲国際で行われていたサントリー・レディース」でプレーオフの結果「成田プロ」が優勝されていた。低次元な話で恐縮だが、優勝と準優勝では賞金が1000万円以上違うのでびっくり。しかし病院食、トーナメントに出場出来ないプロの方が多い事実も知っておきたい。

私がゴルフを始めたのは35歳の頃だったが、数年後にあるゴルフ場のユニーク発想をするコース設計が話題となり、各国で特許を申請して認められていた。

当時はベントと高麗の2グリーンが一般的だったが、その発想はグリーンを一つにしてもう一つをティーグランドの横に設置するというもので、逆回りとなれば左ドッグレッグが右ドッグレッグになるし、打ち上げのホールが打ち下ろしになるので面白く、誰も発想しなかったことをよくぞ考えたものだと感服したことを憶えている。

ゴルフは紳士のスポーツで、自身が審判になってという考え方があるが、前号で触れたプロの皆さんは、この部分で誤ってしまったようである。

さて、九州で行われている卓球の「ジャパン・オープン」で張本選手と伊藤選手が優勝した。「荻村杯」の冠になっている「荻村伊知郎氏」も喜んでおられると想像する。

ミスター卓球と称された氏だが、世界的な称賛の栄誉に輝いた歴史もある、殿堂入りされていることも知られている。

高校時代から始められた卓球で、世界的に活躍される選手になり、数々の栄冠を手にされたが、まさに日本の卓球の歴史にあって特別な存在でもある。

氏の言葉で印象に残っているのが「卓球とは100メートル走をしながらチェスをしているようなスポーツだ」ということで、遠い昔に卓球をしていた私にとってその言葉の背景にあるニュアンスが理解出来る。

昨日の卓球の特集番組を観ていたら、11歳の日本選手の試合が流されていた。相手は知られる香港の選手だったが、世界的に注目を浴びる選手になると想像する。

そんな彼の家族構成のパネル紹介にびっくり。両親や親戚の方々に卓球で活躍された方々が多く、祖父の名前を見て<ひょっとして?>と思い出したことがあった。

私が社会人になった時、大阪代表選手として大津で行われた近畿大会に出場した際、高校生選手で話題になっていたのがその人物で、当時は確か京都の東山高校の田坂選手だったと記憶している。

リオのオリンピックの頃だったが、四天王寺を参拝したら、西門の近くに玄関がある四天王寺学園に横幕が貼られ、そこに「石川選手おめでとう」と書かれてあり、彼女が四天王寺学園の出身であることを知った。

農協、JAから「全農」になった組織のCMで起用されているが、小柄でダイナミックなゲーム姿につい応援をしてしまう。

私が現役であった頃、四天王寺学園の選手に「阪本選手」と「大関選手」がおられたことを記憶している。指導をされていた先生がその後に男子校で日本のトップクラスの選手達を育てられた歴史もあるが、振り返れば当時が懐かしい。

当時の私は痩せていて腹部も細くて49キロしかなかったが、結婚した年に54キロになり、中年と呼ばれる年代になってから腹部が太くなり、60キロを超える体形となったが、最も多かったのが5年前にハワイ旅行から戻った時で、ちょっと食べ過ぎたみたいで70キロを超え、その後に膵炎になって入院することになった。

今日の写真は膵炎で入院した時の病院食だが、入院当日から6日間絶食で点滴ばかり。この食事は食事が許されて3日目のものである。
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