2020-09-06

大丈夫だろうか?  NO 8639

荒尾駅人生にあって台風や地震という自然災害との遭遇は誰でもあろうが、阪神淡路大震災と伊勢湾台風、第二室戸台風のことは忘れることが出来ない。

第二室戸台風は昭和36年の秋に発生した超大型台風だったが、アメリカ軍の観測でも記録的な歴史となっている。

当時私は14才で、幹線道路沿いの長屋に住んでいた。大きな台風が襲来するというので心配性の父が「手伝え」と言って太くて長いロープを購入してきていた。目的は大屋根にプロの大工さんが作ってくれた物干しの存在で、もしも飛ばされた近所に迷惑が及ぶからだった。

物干しはしっかりとした木材で組まれており、建物との固定こそなかったが、少々の風に飛ばされるような代物ではなかった。なのに2時間を要して対策を講じることになり、内心<大袈裟な!>と思っていた。

次の日朝から暴風が吹き荒れ、その暴風の強さは半端じゃなかった。午後になった頃、階下でテレビで台風情報を観ていた私は、2回でバリバリと大きな音が聞こえたので2階へ上がった。窓から観ると隣の家に物干しが天井を突き破って落ちており、雨水が瀧のようになって流れている光景を目にした。

風雨が落ち着いたら謝罪に行かなければならないと覚悟しながら、もっと真剣に対策を講じるべきだったと公開をしていた。

それから役2時間が経過して暴風が収まってきて道路に出て向かい側から大屋根を観たら、我が家の物干しがそのまま残っている。飛ばされたのは反対側の隣の物干しで、我が家を越えて隣に飛ばされていたのである。

この台風の当日に天王寺区の一心寺の前で葬儀を担当していたのだが、担当舎「台風が来るみたいで日程を変更しましょうかと」アドバイスをしたら「台風は逸れる可能性もあるから変更しないで決行しますと喪主さんが決められたそうだが、記録的な超大型台風の直撃を受け、道路側に並べてあった「榊」など全てが飛ばされ、恵美須町の浪速警察署の前まで飛んでいた事実にびっくり。そんな成り行きから次の日に日程を変更して葬儀が執り行われていた。

昭和50年代の7月の出来事だが、前夜から豪雨が降り続いてあちこちの道路が冠水し、杭全町交差点も大池橋交差点も通行止めになり、八尾市内で担当していた葬儀に私が行けなくなり、朝から早めに行っていたスタッフが担当してくれていた。

その日の午後からの葬儀は私が担当したが、生野南小学校の直ぐ近くのお家で、前を流れる運河の水位がもう5センチという緊急事態だったので忘れられない。

当時の弊社の倉庫は東住吉区の今川にあり、内部に鉄骨を組む際に30センチほど床から上げる設計をしていたが、そのお陰で浸水しても被害に及ばなかったことを懐かしく思いだしている。

台風10号が九州付近にあるようだが、熊本県荒尾市にある友人の葬儀社の心配をしている。
第一斎場は有明海に面しているし、第二斎場や第三斎場も近いので影響が大きいと想像する。

新しくオープンして営業している和食レストランも大丈夫だろうかと心配している。広い敷地にぽつんと建物が建っており、暴風の影響を諸に受けそうだからだ。

明日に電話をしてお見舞いの言葉を掛ける予定だが、被害が少ないことを願っている。

今日の写真は鹿児島本線の荒尾駅だが、駅の構内に友人が関与しているコーナーもある。
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