2018-07-13

半世紀前のこと  NO 8254

ロイヤルウイング今回の豪雨で鉄道の被害も甚大で、山陽本線のあちこちで不通となっており、物資の流通に欠かせない貨物列車が運転されないことから大きな問題になっている。

東日本大震災や阪神淡路大震災の時にも路線変更で輸送された事実もあるが、今回も山陰線を経由する路線が検討されている。

山陽本線と山陰線では大きな違いがある。単線区間の多い山陰線での輸送力は想像以上にダウンすることになるし、線路が重量に耐えられるかの確認も必要だそうだ。

また、電化されていない区間が大半なのでディーゼル機関車が必要だし、運転士の対処育成にも時間が掛かるようだ。

私の青春時代に「特急 まつかぜ」という列車が山陰線を走っていた。京都から松江方面を結んでいたものだが、利用客が多いことから京都から大阪を経て福知山線経由で山陰線に入り、松江を経て博多まで行く特急列車になっていた。

このディーゼル特急は6両から9両、12両に増結された歴史があるが、青春時代に同型車両の「特急 かもめ」で熊本まで利用したことがあるので懐かしい。

当時の「かもめ」は京都駅から大阪を経て山陽本線で九州に入り、博多を通って一部が長崎行になって切り離されていたが、熊本へ行く鹿児島本線経由は西鹿児島駅まで行く列車だった。

記憶では午前8時頃に大阪駅を出発し、熊本駅に午後6時半頃に到着したと思っているが、旅行会社に勤務していた友人が予約してくれた熊本市内の旅館は、一泊二食付きで「2500円」で、2泊目の内牧温泉は「4500円」、3泊目の城島高原別府ニューグランドホテルは「6500円」だった。

国道3号線の熊本南警察署近くのホンダレンタカーで「S600」を借り、別府で乗り捨て返却をして関西汽船の「るり丸」で天保山に帰って来たが、松山、高松、神戸に寄港し、速度が遅かったので20時間程度を要したことを憶えている。

その後の関西汽船には「くれない丸」「すみれ丸」「むらさき丸」「こはく丸」「あいぼりー丸」「こばると丸」などの3000トンクラスの客船が就航していたが、この「るり丸」は2000トン級で、3000トン級は14時間で運航されていたが、夜行便より瀬戸内海の景色が堪能出来る昼便に人気があった。

当時は明石大橋や瀬戸大橋もなかったが、風の強い日は豊後水道でかなり揺れたことを憶えている。

前述の「くれない丸」は、現在は横浜港でのレストラン・クルーズ船として活用されており、「ロイヤルウイング号」となっているが、過去に人気ドラマ「相棒」の中でも登場していた。

関西汽船の3000トンクラスの別府航路で忘れられない思い出がある。別府から神戸行きの便で神戸港に着いたのだが、妻が化粧をする時間が手間取り、部屋を出てロビーへの階段を降りている時に船のスタッフと会い、「まだおられたのですか!」と驚かれたのだが、そこで分かったのが船がすでに岸壁を離れていた事実で、改めて接岸して貰って恥ずかしい思いで下船した出来事だった。

今日の写真は元「くれない丸」の「ロイヤルウイング号」を。
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