2018-05-18

思い出がいっぱい  NO 8201

太地の旅館の朝食熊本市内に在住する友人夫妻の家を訪れたのは3回目だったが、前回は昨年の1月に雲仙に向かう前に立ち寄ったもので、フェリー乗り場まで車で10分の立地ということもあり出港まで見送ってくれた。

彼には一人息子があり、私が毎日散歩しているコースのとちゅうにある小学校の校長になっていることを知った。

大阪で喫茶レストランを長年やっていたが、還暦を過ぎたら故郷へ戻ってゆっくりと余生を過ごしたいと行っており、閉業して戻ってから7年の月日が流れた。

閉業する前に一緒に伊勢神宮へ参拝したことがあり、宿泊した鳥羽のホテルの大浴場内で奥さんの誕生日であることを聞き、ホテルのスタッフに頼んでシャンパンを準備して貰ったが、夕食時に乾杯した時に奥さんが喜んでくれたことが印象に残っている。

「人は辛い思いをしただけ人に優しくなれる」という言葉があるが、彼は大阪にいる時に孫を亡くしていた。今回に彼の家に立ち寄った時、応接セットのある部屋に仏壇があって手を合わせて来たが、横の床の間に孫の思い出の写真が飾られていた。に

私も何度も話したことのある孫だが、小学6年生で180センチを超える立派な体格でラグビーで知られる存在になっていた。そんな時代から社会人チームや大学から勧誘されていたのだから驚きだが、遠征の合宿中に熱中症で急逝するという不幸に見舞われていた。

救急車で搬送された病院へ新幹線と在来線の特急に乗り継いで向かっていたが、その特急列車が線路上の倒木で立ち往生し、急遽タクシーを頼んで行っても間に合わなかったという悲しい出来事だった。

タモリのテレビ番組で「体の大きい小学生来てくれるかなあ」というのに参加、その立派な体格にタモリも番組の関係者も驚嘆されていたし、新設されたラグビー場のオープン記念式典に出席された宮様が彼を目にされて「本当に小学生?」と主催者に質問をされたという逸話も語り継がれているが、絵を描かせたら特別な才能を有していたことも残念でならない。

彼の作品は新聞社主催のコンテストで何度も表彰をされていたし、国際的にも話題になっていた事実もあって自慢の孫でもあった。

大切な人を亡くしたら生前の思い出話が何よりという言葉もあり、昔話に孫の話題も多かったが、ゴルフとビールを楽しんで欲しいと願っている。

私は彼と出会っていなければゴルフをしていなかったと思っている。何度も夫婦で出掛けたことがあるが、彼の奥さんがセルフの時は何時もキャディーさんみたいな配慮をしてくれた。カートのリモコンやグリーンでパターを持って来てくれたりしたのだが、それは彼女ならではの素晴らしい配慮が伝わるものだった。

今回に再会して少し体調が芳しくないことを知ったが、全快されることを願っている。

アメフトの日大問題が大事になっている。テレビのニュース映像で何度か目にしたが、あれは本当に酷い行為である。日大の監督が謝罪に来るようなことを伝えていたが、謝罪とは想像を絶するエネルギーを要するもの。そうなってから後悔してもどうにもならないことを悟っている筈である。

今日の写真は孫と一緒に旅行した際の旅館の朝食を。
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