2018-03-19

声に関すること  NO 8147

別府駅のホーム看板小学校の5年生と6年生の時に、学校の講堂で年1回開催される独唱の会で、クラス代表で出場していた。

1年生から6年生まで全てのクラスから代表が出場するイベントだが、保護者の入場も可能だったので行動の中は満員だった。

過去に書いた不思議な出来事をもう一度書くが、この独唱の会で6年生の時にミステリーみたいなことが起きた。5年生の時は伴奏がピアノだったのに、新任の先生がアコーディオンの名手だそうで。6年生の時はアコーディオンの伴奏となったのだが、私はピアノを演奏する先生が大好きだったので強い抵抗感を覚えていた。

その不思議なことは私の出番の前に起きた。ずっと伴奏をされていたアコーディオンの先生を囲んで数人の先生方が集まっている。時間のすると3分程度だったと思うが、急遽ピアノが出て来て私はピアノ伴奏で歌うことになった。記憶している曲名は「みどりのそよ風」だが、私が歌い終わるとまたアコーディオンの先生の伴奏となったのだが、私の時にアコーディオンに不具合が発生し、数分の修理が必要ということで私だけピアノ伴奏ということを知った。

「念じれば」という言葉があるが、今でも不思議な体験として忘れないでいる。

中学1年生になって音楽の授業の時に独唱で歌ったことがあった。それは、同じクラスの中に小学校の同級生があり、先生に私のことを伝えていたからだった。

「特殊な声ね。ボーイソプラノだわ」と白髪で上品な高齢の女性の先生がそう言ってくれて嬉しかったが、そんな声も2年生を迎える春休みの機関に「声変わり」が始まり、自分でも衝撃的に声質が変化してしまった。

2年生の初めての音楽の授業だった。音大出身の若い女性の先生だったが、1年生の時の先生から伝言されていたみたいで、授業が始まると同時に私の名前を呼ばれて好きな曲を歌うように命じられた。

それは余りにも残酷な瞬間となったのは言うまでもなく、全く歌えるような状態ではなかったのであり、先生は「声変わりね。残念だわ」と慰めてくれた。

声質が定着するまで3カ月以上を要したが、全く高温の部分が難しくなってしまい、会話の声もかなり低くなってしまい、元の声を知る人達から驚かれることになった。

そんな変化してしまった声質だが、この仕事に従事するようになってから「天性」みたいに「天声」と恵まれていたことを知った。

奈良県で行われた葬儀で出棺をして音響設備を片付けていると、火葬場に行かれなかった親戚の方から呼ばれ、「あなたの声は普通じゃないね。名刺をいただけないだろうか。近々にお願いするかもしれないから」と言われてびっくり。

それから半月も経たない内にその方から電話があり、テレビ番組でナレーションを依頼されることになり、それを機に多くのテレビ番組に出演することになった。

今でもその方のことを憶えているが、テレビ局の企画担当の役員さんで、多くのアナウンサーやナレーターの声を聞いているが、私にぴったりの情景が浮かんだそうで、美しいモデルさんが尼さんの姿に扮し、化野をイメージして製作されたスタジオを歩くバックに流れるナレーションで、数人のアナウンサーに担当させても味が伝わらず、私に白羽の矢が立った訳であった。

この時は生放送でゲストとして出演することになっていたが、出演の4時間前にスタジオ入りをしてナレーションの録音を依頼されたが、1回目を軽く流して「4秒長くして」と言われて2回目で「ОK」が出たので周囲にいた関係者が驚かれ、私を指名された方が「ニヤッ」とされていた表情が印象に残っている。

そんな声も10年前の大病で声帯を半分失う悲劇に遭った。会話も不可能だったがリハビリからコミュニケーションが可能となり、講演を依頼されることもあるので有り難いことだ。

今日の写真は別府駅のホームの表示を。別府は観光客の入湯税を値上げすることで話題になっている。
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