2018-03-13

思い出したこと  NO 8142

沈丁花エレキギターのバンドで知られたベンチャーズのメンバーだった「ノーキー・エドワーズ氏」の訃報ニュースがあった。もう82歳だったと知って往年を懐かしく思い出した。

1960年代に「テケテケ・サウンド」が脚光を浴び、日本公演で寺内タケシさんや加山雄三さんと共演されていたこともあった。

当時にエレキギターをやっていると「不良だ」なんて白い目で見られる環境があったが、「ダイヤモンドヘッド」「10番街の殺人」「パイプライン」「ブルドッグ」などの曲は今でもはっきりと記憶しており、日本人歌手が歌ってヒットした曲も存在している。

私はこのベンチャーズの逸話で人生に大きな影響を受けた思い出があり、過去に紹介した話を改めて書いておくことにする。

十数年前のことだった。不思議なご仏縁から交友が始まった人物があり、彼は音響と照明の企業の社長で、知り合った年の年末に「食事に行きましょう」と来社、2人で私の友人の割烹で互いの体験談を話し合っていた。

その中で彼がベンチャーズの日本公演で音響と照明を担当している時に起きたハプニングについて語ってくれ、その出来事に感銘を受け、その後の人生で出来るだけ怒りを抑えて「貸し」を作るように考え方を改めたのである、

そのハプニングとは曲のプログラムが後3曲というところで発生。演奏していたベンチャーズのメンバーの表情に異変が生じ、舞台の袖にいた彼はそれが音響のモニターに不具合が発生したことを察知し、頭の中が真っ白になってしまったそうである。

モニターの不具合からベンチャーズは客席に流れている音響からしか耳にすることは出来なかったが、彼らは何事もなかったように演奏を続け、3曲の終了後にアンコール曲に応えてコンサートを終えた。

申し訳ない心情で舞台の袖で固まっていた彼は、すぐに通訳の人に頼んで控室に参上、平身低頭して謝罪をしていると、通訳を介して聞いていたベンチャーズのリーダーが次のように発言した。

「君は謝罪しなくていいよ。あれは機材の故障だ。機材が謝罪すればよい」

その言葉から彼はベンチャーズの大ファンとなり、その話を聞いた私も傾倒することになった。

その後、彼には九州で行われた大規模な合同葬や大阪のホテルを会場とする研修会でお世話になったが、弊社の本館ホールの音響設備も彼に依頼して特別にセッティングして貰ったものである。

2000年前後に私の隠れ家という部屋の存在があった。そこは葬儀の業界に携わる人達の憧れになっており、様々な音響設備も置かれていたが、誰もが驚かれたのがマイクで喋ったナレーションと接続するコンポシステムから音楽を流すとビデオ収録が可能となり、故人の人生の写真を映像化したバックに録音される優れものだった。

そのシステムが完成したのも彼の力添えがあったからで、私がずっと疑問を抱いて挑戦していたことを打ち明けたら次の日に組み上げてくれたものだった。

大規模な専門スタジオでないのにそんな収録が可能なんて信じられない話で、取材で来られたテレビ局のクルー達も驚かれていたので面白かった。

今日の写真は広島のピピの社長のブログから拝借した「沈丁花」の写真だが、「春の沈丁花は3里香。秋の金木犀は9里香」という言葉があることも書いておこう。昔、私が所属していたゴルフクラブの「パー3」のホールのグリーン側に金木犀があり、秋の季節にティーグランドに立つと向かい風の時は香りが漂って来たので参考ににしていたこともあった。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net