2022-01-18
大丈夫だろうか? ǸО 8798

受賞された方が石原慎太郎さんとも交流があり、慎太郎氏が原作だったこのドラマのことをご存じで、石原慎太郎作詞、山本直純し作曲、三浦洸一さんの歌で大ヒットしたし、その後に石原裕次郎さん主演の映画にもなったので広く知られた名曲だった。
先生の歌声は迫力があって豊かな声量で、歌詞に見事にマッチされたのは圧巻だった。
阪神亜味出し震災の発生から約2か月順延して行われた祝賀会だったが、オープニングで国旗儀礼をおこなった後、客電を暗くして静かな音楽を流し、犠牲者の皆さんへ捧げる黙とうと、被災された方々の復興を願ナレーションを創作してしたことが高評価をいただくことになった。
こんなナレーションを創作するのは私の特技で、私が作った様々なナレーションが全国の葬儀司会者の間で流れているが、音楽もオリジナルだったことを憶えている。
私はプロとして妥協を許さない信念があり、ホテルで大規模な偲ぶ会やお別れの会があった際にでも、ホテル設置の音響を使用することなく、何度も仕事をした友人の音響照明会社の社長にお願いしていた。
毎回マイクの形式が変わっており、その事情を聴いたら、故人のお人柄などを理解して最も合う声質のマイクを選んでくれていた。
彼に特別にお願いして九州の知られる企業の合同社葬に前日入りをいて貰ったことがあった。その時は機材の持ち込みはしなかったが、舞台監督との打ち合わせをお願いし、当時地入りする私のお願いを託していた。
コロナの感染者数が衝撃的になって来た。トンガで発生した火山噴火による不思議な津波減少も怖かったが、昨日にアフガニスタンで大きな地震が発生していた。
阪神淡路大震災が発生してから1週間後に名古屋駅で乗車したタクシーの運転手さんの話が印象に残っている。結婚披露宴で前日入りされた新婦が神戸の人で、両親は当日入りとなっていたそうだが、自宅が倒壊して亡くなられたという悲劇だった。
さて、受賞された人物は数年前にご逝去され、阿倍野の天空館で葬儀を行ったが、その時も松下電器の元社長さんが会葬に来られていた。
記念祝賀会はご夫婦でご登壇いただいたが、その奥様も数年前にご逝去され、その訃報を知らせてくれたのは弁護士さんで「知らせていないだろうと思ったので」と配慮くださった。
お通夜に参列し、本来なら500人以上が参列される筈なのにコロナ禍で本当に寂しく限られた方々での葬儀となったが、お仏前で「お別れの言葉」を捧げ、「コロナのバカヤロー」と行って来た。
生憎と妻が体調を崩して参列できず、心残りとなっているみたいだが、それで妻の参列を勝手に想像し、罰金を科して来たおかしな弁護士のことは忘れない。