2004-12-18

言葉の美?  NO 1009


 前から気になっていったことがあり、<どうするか?>と思いながら出勤した。

 大半のスタッフが葬儀に出掛け、事務所内に女性スタッフしかいなかった。廊下をウロウロしながら心が迷う。やがて、お茶を飲んで「やる!」と決断して行動を始めた。

  過日に行われたクリスマス・リースづくりのイベントだが、その時の材料が余っていた。3つ程度なら完成可能な量、社内で講習を受けたのは私だけ。このまま 放置していてはもったいない。21日のクリスマス・コンサートのことも頭に浮かぶ。そこで装飾の一部として飾る決心をした。

 作業を始めて予想もしなかったことが分かった。材料の「木」が乾燥していて手を刺し、痛い。<もっと早くすべきだった>と後悔しながら、式用の白手袋で苦労する。

 やがて3つの基本ベースが出来上がった。はっきり言って前回よりも完成度は高いが、新人スタッフから「らしいです」と言われて軽度のショック。芸術系出身の彼女に後の装飾を一任することにした。

 さて、新聞に「日本語が乱れている」という記事があった。それらはテレビ、ラジオのアナウンサーのことにも波及、美しい日本語を取り戻せという内容だった。

 テレビで、ある大学教授の言葉に唖然としたことがある。「これはですねえ、皆さんがですねえ、将来に備えてですねえ・・」

 1分間に「ですねえ」が何度も出てきて聞き苦しく、この教授の講義を受ける学生達が疲れるだろうと想像したし、これらは現場からの中継を担当するアナウンサーにも多い。

 司会や講演をしている私、いつも言葉に気を付けてはいるが、反省ばかりのこれまでで、それは、これからも死ぬまで続くことになるだろう。

 語尾を引っ張る会話が若い人達に流行している。そこにIT社会の到来を背景として「カタカナ語」が一挙に増え、私のような年代には宇宙語のように聞こえてくる。

  昔、「な・か・さ・ねえ」「な・さ・け・ねえ」「よ・さ・ねえ・か」という文字を語尾として出来るだけ使うなと教えられたことがある。上述の「ですねえ」 節なんて典型だが、「あのさ~」「今からさ~」という関東弁的言葉も聞き苦しく、品を失い、目上の人に使用する光景に恐ろしさを感じてしまう人も多い筈。

 葬儀の司会で神経を遣うのは「トーン」もある。音響の調整でソフト、重厚、儀式などを総合的に集約すると、どうしてもマイルドな低音設定になってしまう。しかし、この低音域では語尾が消えてしまうという難問がある。

 司会の世界で美しい言葉をと考えていると、ひとつの答えが見つけられる。それは日頃の会話を美しい日本語で喋ること。

 また、お客様や目上の人と会話する人とそうでない人の差は歴然で、美しい言葉の成長を遡れば、大学、高校、中学、小学校、幼稚園となり、その先にずっと続いた「家庭」というものがあり、この「過程」こそにすべてがあると考えている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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