2004-11-13

仏・法・『葬』?  NO 973  


 銭湯に行き、久し振りに体重計に乗ってびっくり。20数年振りに61キロを切った。

 これは、この数ヶ月取り組んできた私なりのダイエット。出来るだけ深夜食をしないようにしたから。

 温めの湯船で目を閉じていると、いきなり「ポチャーン」と音がした。見ると小さなスーパーボールが浮かんでいる。小さな子供が遊んでおり、弾んで飛び込んできたものだった。

 手にして渡すと「ペコッ」と頭を下げたが、「おーい」の呼び声でお父さんらしい人物のところへ戻って行った。

 その若いお父さん、背中に総天然色の立派な刺青。絵柄は仏様に因むもの。思わず手を合わせてしまいそうな美しさだった。

 子供は親の背中を眺めて育つもの。あの子はきっと将来に、仏道に関係する仕事に就くと信じたい。

  さて、何度かお会いした方の葬儀、享年**才と伺って驚くことも。年上と思っていたら年下だったり、その逆もある。人間とは、勝手な想像での思い込みが多 いもの。日本人の心の根底ある「儒教精神」が稀薄しつつあるとは言え、日常会話の中で年齢というものは絶対に無視出来ない大切な礼節が伴ってくる。

 何気ない仕種、言葉遣い、風貌、雰囲気などで勝手な想像が生まれ、いつの間にか10歳以上も年寄りに思われていたり、その反対のケースもあるだろう。

 日本トータライフ協会のメンバー達と知り合った過去のことを考えていた。何かの「えにし」で一人ずつ増えてきたのだが、「一道」に進もうと「一堂」に会して年齢を確かめ合ったら意外な事実。<年上だろう?>と思っていた人達全員が年下だった。

 <私が最年長?嘘っ!>という衝撃もあったが、その原因は、メンバーそれぞれに重みのある人格が備わっていたから。随分前の「独り言」で、あるメンバーのことを書いたことがあったが、その時に想像で年齢を表記したらメールでクレームが送られてきたことも。

 「私、そんな年寄りじゃありません。**才です。青年ですからお間違いのないように」と書かれていたように記憶するが、「ごめんね」と返信したのは言うまでもない。

 目と足に老化現象を感じ出した私、社葬やホテル葬の収録ビデオの編集する際、自身が出てくる映像光景が恐ろしい。<いかにも年寄り!>と寂しい思い。近い将来の現役引退を自身で勧告する心境でもある。

 テレビ出演が多かった頃の映像もあるが、まるで別人。寅さんシリーズに思いを合わせると、笠智衆さんが演じられた「御前様」の年齢イメージではないか。その内「隠居」と呼ばれるかもしれないし、協会内でも「長老」として「メンバー以外」と扱われるかもしれない。

 人は、引き際が大切。自身が進んできた人生舞台の幕引きは自身で努めたいもの。まだまだ「死なん」と思っていても、命終の日を知ることは「至難」のこと。「それは、悟りの境地の世界だ」と、ある高僧が「指南」くださったこともある。

 今日、来社された大手仏壇店の社長さん。隠れ家で披露した業界の話題に衝撃を受けられた様子。「世の中、そんなところまで変わってきているのですか?」と返されたお言葉、それは、まさに危機感を感じられた表情でもあった。

 互いに初老の身、残された時間をどのように「生かされるべきか」と結んだ会話。仏様につながる道を進み、そして広めましょうで一致した。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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