2024-05-17
地震が恐ろしい NО 10155
随分前だが養命酒のcmに「藤田まことさん」が起用されていて、「強壮・滋養・薬用養命酒」というキャッチコピーがあったが、最近のCMを観たら「草刈正雄さん」が起用され、「薬用・養命酒」と変わっている。何かの流れでそうなったのかもしれないが、社会の変化は難しい。
ユーチューブを観ていたら、昭和35年に発生したチリ津浪の宮城県被害のニュース映像があった。北海道から沖縄まで各地で被害が出ていたが、東北千穂の被害は甚大で早朝の夜明け前と言うこともあり、衝撃的な被害が出ていた。
「津波警報」の発令もなく、突然襲来した大津波で、高いところでは10メートルだったそうだ。
に級の裏側にあるチリ沖で発生した大地震で発生した大津波だったが、ジェット機のスピードでやって来るので恐ろしく、当時は情報社会ではなく、津波情報が初めて出されたのは、到達後のことだった。
東日本大震災の記録映像のいくつかを観たが、それは想像を絶する恐ろしさで、沖に出ていた海上保安庁の船が津波と対峙する映像や、名古屋と仙台、苫小牧を結ぶ太平洋フェリー「いしかり」が仙台港に停泊中に発生した地震から緊急出航して省MⓇンから対峙した当時のことを語る乗組員の言葉も凄かった。
先月に観たプロジェクト✕で「スカイツリー」を採り上げていたが、近い号で「淡路海峡大橋」を採り上げるそうで逃せない。
ユーチューブの中に淡路海峡大橋に関連して「阪神淡路大震災」時の調査があったが、大地震に備えて様々な研究が為されており、強風で揺れても持ちこたえる計算もされていて、実際に瀬戸大橋でテストされた映像が衝撃的だった。
淡路島の野島断層のことも紹介されていたが、妻と淡路島へ行った際に資料館に立ち寄ったことがありはっきりと記憶している。
阪神淡路大震災が発生した時は1階で寝ていたが、睡眠導入剤を服用していたにも関わらず、揺れに気付いて目が覚め、天井からブラ去っている和風の蛍光灯天井に何度もぶつかり、家がミシミシと不気味な音がしていたのを憶えており、その時は家が倒れると開く宕したぐらいだったが、その日の午前中の葬儀を堪能してから午後の葬儀に行き、大正区の小林斎場まで同行したが、阿倍野近鉄前の交差点の西側は完全に停電状態になっており、大変だった体験を思い出す。
「テレビ番組の「居酒屋新幹線」の小松編で女優さんが「思い出とは二度と叶わないことを懐かしむだけだ」と言っておられたが、その言葉が観に染む昨今である。