2003-09-19
幼少時代の記憶 NO 551
前日の「号数」誤記から訂正。同日発信となりました。
13人の孫さん、14人の曾孫さんたちに送られるお婆ちゃん。享年94歳。1910年、明治43年生まれのお方だった。
ナレーション創作で年表を見ると、ロンドンで開催された日英博覧会、白瀬中尉「南極探検に出発」と表記され、社会状況には「ハレー彗星が地球に最接近。暗い噂が飛び交っている」とあった。
孫や曾孫の多いお葬式。それは、我々葬儀社にとって、家族の絆を感じる場。私の得意分野である「命の伝達式」が決行される。
「は~い、お孫さん、曾孫さん、全員集合してください」
そこから始まる数分間、それは、大切な葬送の意義が生まれるひとときと自負している。
企業秘密でここまでしか表記出来ないが、これまでの体験から、これが、我々「葬儀<者>」の仕事だと確信している。
今晩、遠方でお通夜が行われるが、立派な祭壇なのに10数人で送られる。いわゆる家族葬形式という部類に入るが、こんな葬儀が増えてきた。
さて、幼い頃の葬儀の体験とは、どの程度が意識に残るものなのだろうか? 大勢の人がいたぐらいは残るのだろうか?
私は、3歳の時に行われた親父の妹の葬儀のことを、薄っすらと記憶している。
母が泣いていた。いっぱい人がいた。大きな自動車がいっぱい並んで走った。
たったそれだけであるが、「ここへ来たらお終い」という、火葬場で誰かが言った言葉を不思議に覚えている。
その時から中学生になるまで、そこが自分の中で「怖い」という秘められた世界ともなっていた。
葬儀という仕事に携わり、これまで1万数千回も火葬場に随行した。そこで学んだこと。それは、「終わりよければすべてよし」と「後悔なき人生を過ごす」ということ。
誕生からではなく、死の瞬間から遡って自身の人生を省みる。そこで残された時間をどのように過ごすかということに気付かされるが、これらは、受付からでは なく、お帰りになるお客様の後ろ姿から考えようという、弊社の企業理念にもつながっており、不謹慎な比喩で恐縮だが、ゴルフの18番をホールアウトした時 の思いにも似ている。
「思い出を『形見』に」という様々なオリジナルサービス。それらは、今、少しずつ、スタッフたちが「かたち」として具現化しつつあるが、オープン化していない多くの発想。それが生きている内に「かたち」になるかだけが心配である。