2017-03-08

司会のこと  NO 6001

尾道水道の朝焼け今日も「幸せ列車」で紹介されている「10年前の独り言」から再益をするが、葬儀の司会をしている人達には参考になるだろう。

何やら難しいこと?  NO 1800  2007-03-08

葬祭式場の流行で、あまり幕を使用することが少なくなった最近だが、スタッフが「久し振りに山ほど使用しました」という式場に行ってびっくり。そこは確かに幕を使用しなければ格好がつかない会場、それこそ後片付けが大変という覚悟を承知した状況だった。

我々の仕事で部屋を式場にするために「飾り付け」することは「設(しつら)える」とも言うが、それらは「整える」という本義のある「室礼」と考えるべきだろう。

ナレーションを創作している中で悩むのが、文字を目で見ることと耳で聞くことの大きな違い。「室礼」とは「しつらい」と読むが、耳にしてこの文字がピーンと来ることは皆無と考えるべきだろう。

「終日」と書いて「ひねもす」とも読むが、この「ひねもす」のフィーリングが欲しいと感じても中々前後の折り合いが付かず、どうしても誰もが理解し易い言葉を選択することになってしまい、書くことと聞くこととの「味」の違いだけはどうしょうもないことに気付かされる。

一行に40文字程度のナレーションがあったとしよう。耳にされる人の中で<!?>と
思われる方があれば、その方はそこで留まってしまい、その間に2行ぐらい約80文字がが素っ飛んでしまうことになる。だからスッと入る言葉を選ぶことが重要だ。

季節の風物詩に東大寺の「お水取り」という儀式があるが、廊下を僧侶達が松明を手にして走るような「しきたり」も行われ、これをアジア特有の宗教であるゾロアスターの「拝火(はいか)みたいだ」と発すれば、少し前まで存在していた高速道路の「ハイカ」を連想してしまうのは当たり前。だから草稿には文字の制限が出てくるわけである。

司会者への指導にあって「簡単だけど難しいよ」と教えるのが「春・夏・秋・冬」の発音。関東と関西だけではなく、その地方独特のニュアンスがあって伝えるのが簡単ではないからだ。

例えば「ふゆ」と発音しただけで、それが「冬」を連想させることがどれだけのパーセンテージで可能かというのが勉強しなければならないテーマ。この四季それぞれを瞬時に感じさせることが出来れば立派なものだ。

「言葉を五線譜に音楽的に描いて語りなさい」と教えることもやっている。それによって画期的に進歩を遂げた人達が多くあった。その日まで自身の生活環境に土着しているイントネーションを変えることは簡単ではない。必ず何処かで外してしまうもの。適度な緊張とリラクゼーションという表現の難しいバランス感覚で解決が出来る。そんなテクニックを教える時間が面白いものである。

次に進化を求めるが早口で早口でないように聞こえる喋り方の習得。そこ に秘められた特殊な仕掛けを知れば誰でも可能。喋る人、聞く人、その両者の中間で客観的に分析する技能に気がつけば飛躍的に進化が出来る。これはアナウンスの世界だけではない。一般社会の中でも重要なものであり、それこそ勝手な人格を形成させてしまう恐ろしさを秘めており、人の社会は、それを「納得」と「説得」という分類で学ぶことになっている。

そして葬儀の司会にあって最も重要な世界は「やさしさ」のフィーリング。これだけは技術だけで到達できるものではなく、その人自身のハートという人柄が織り成す結果であり、それだけは死を迎えるまで勉強しなければならないテーマである。

今日の写真は深いご仏縁のある広島のピピの社長のブログから拝借。美しい尾道水道の朝焼けである。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net