2017-03-02

懐かしい思い出  NO 5995

しきみ今日は10年前の「独り言」から3月1日文を再掲しよう。

タイムスリップ?  NO 1792   2007・3・1
車で走行していると、黄色い帽子の集団と出会った。みんな6年生ぐらいだと推察したが、その大きさにびっくり。後方に並んでいた子供達は、男性の先生らしき人物より大きかった。

私の「三丁目の夕日」時代からすると<!>が幾つも並ぶと言うべき成長振り、戦後の物のない時代には考えられない社会変化が起きているようだ。

そんな一方に「いじめ」や「犯罪」が増加、心を病んだ人が多い世の中になっているのも間違いなく、教育に対する今後の取り組みが簡単ではないようだ。

インターネットが登場し、自身の病んだ心身に善悪両方の影響を与える社会になった。「自殺」と検索すれば山ほどのページがあり、「生きなさい」「死んではいけない」という救済もあるが、逆に「奨励」や「誘い」のページもあるのだから恐ろしく、集団自殺なんて行動がますます増えてくるような傾向だ。

テレビでは「お笑い番組」のオンパレード、ニュース放送と言えば暗いことが大半。こんな社会状況で心を病んだらそれこそ救いがないだろう。

ドラマの中で失恋や事故という悲しい場面もあるが、殺人の光景もいっぱい出てくる。どうも「死」に対する取り扱い方が「感心」せず、もっと「関心」を持って欲しいと願ってしまう。

「死」を学ぶことは、そのまま「生」を知ることにもなる筈。だからこそ家庭や学校で「死の教育」が重要なのである。

さて、塾生のブログ「やさしさにいつでも逢える」を訪問したら、ご出棺前に開かれた柩の周囲で感じた出来事が書かれてあった。ご遺族が納められる「花」のことだったが、担当葬儀社が「仕上げ」と言ってギュウギュウと押し付けている姿に抵抗感を抱いていた。

この光景で私の行動パターンを紹介しよう。ご出棺に立ち会った際、必ず一輪の花を柩の片隅に納め、そのご仏縁に手を合わせるのだが、それからやらなければならないのが「お花」の裏表の確認である。

中にはドサッと入れられる方もあり、花が裏返ってしまっていることも少なくない。また、色彩のバランスが美しく見えるようにゆっくりと配置転換させることも大切。この「ゆっくり」という行動が重要で、それが「作業」に見えるようだったら「やるべきでない」と断言しておく。

このご出棺の光景についての研修をすれば、それだけでも数日を要する深さのある問題。スタッフ同士の連携行動も求められる究極に難しい場面であると認識したいし、そんな結論が「命の伝達」という儀式に至った歴史がある。

そうそう、数日前、公益社さんが刊行された社史を拝見したら、懐かしい方々のお写真が掲載されていた。

先代の使いで公益社さんの本社に行った際、当時の営業部長であった中村氏が「親父の仕事を継げ」と仰り、その後にこの業界に入ってから再会した時、「諸行無常」というご著書を頂戴し、よく可愛がっていただいたので感謝申し上げている。

また、数代前の久後社長さんとも逸話がある。初めて先代の代理で組合の集まりに出た時に「若い人がこの業界に入ることはよいことだ」と上機嫌で、「葬儀業界をどう思う?」と質問をされ、そこでとんでもない発言をしてしまったのである。

当時、我が大阪は「シキミ」が全盛時、それなのに「シキミは近所迷惑、業者がそれに変わるものを社会提案しなければ」と言ったら、近くに座っておられた供花商組合の役員さん達から「お前は花屋の業界を潰すつもりか?」と叱られ、そこで「その考え方は大切だぞ」とフォローしてくださったのである。

多くのページを費やされ、役員であられた美濃部氏の座談会風記事も掲載されていた。若かりし頃、美濃部氏とY氏との3名で、新聞社が主催した招待旅行で東北にご一緒したのだが、全行程が何と大型バス。秋田県の男鹿の旅館の夕食会場が80畳の大広間、そこに幹事を含めてたった4名だけの寂しい食事。しばらくしてから「なまはげ」が登場して大歓迎を受けた時には、あまりにも広過ぎてシラケテしまう笑い種になった。

あの当時から我が業界は急変した。シキミは「親族一同」一対のみというケースが大半になり、葬祭式場ではその姿さえ見ることが少なくなってしまっている。

昔、そんな大先輩達から教えられた「シキミ」の意味を知る人達も少なくなったようで寂しいが、葬送の歴史を学ぶこと、そのプロセスを認識することは、将来の業界の文化形成に欠かせない重要なことであろう。

今日の写真は温故知新という言葉を思い浮かべながら「樒(シキミ)」を。
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