2003-08-01
社会リサーチの生の声 NO 503
昨日、女性の方から、愚生の「著書を」とのお電話を頂戴したそうだ。
著書については、このHP内にも表記されているが、その存在を知られたのは「お葬式プラザ」の式典プロデューサーのページ。
著書とは、その時代の思いを綴ったもの。発刊した次の日に考え方が変化することもあり、20年も前に著したものは世の中からすべてを回収したい思いを抱いている。
そんな事情を説明したスタッフだが、この「独り言」の存在をお知らせしたら、それをまとめて発刊されないのでしょうかと言われたそうだ。
さて、断れない講演の依頼があった。「友引の日にしてありますから、是非」と懇願される。開催されるのは秋だが、受講者がかなりの人数になるとのこと。最近、葬儀に興味を抱く風潮が強くなってきた兆しを感じている。
過去にも書いたが、講師としてふたつの条件をお願いした。ひとつは紹介などで「先生」との呼称を一切用いないこと。もうひとつはノーギャラということだった。
交通費だけは頂戴するが、業界の講演やセミナー以外の謝礼を一切受け取らないのが私のポリシー。ある社会団体での講演の際、「規定ですから」と強制的に受 け取らされることになったが、「確かに受け取りました。これを、改めて主催者団体に寄贈します」ということで折り合いをつけ、頑固な変人というレッテルを 貼られたかも知れない。
私は、葬儀社である前に葬儀「者」だと考えている。この理念は日本トータライフ協会のメンバー達と共有するとこ ろだが、誰にも訪れる葬儀という問題を、社会の方々に認識していただく機会を与えられることが何よりで、それが葬祭業の文化向上につながる行動であると確 信しているからだ。
「無料というのは依頼がし難い」というお声も多いが、私の抱くそんな哲学は、講演の中で受講者に確実に伝わっている。
今回の講演は90分だそうだが、受講者は、その半分ぐらいの時間の経過しか体感されないだろう。「ご清聴有り難うございました」と結ぶと、誰もが時計を見られ、「もう1時間半も経ったの?」と、不思議な表情をされるのが私の講演風景。
私は、アナウンスのプロである。与えられた時間、絶対に退屈させない話術を武器としているし、通夜の導師のお説教を数千回拝聴した経験もあり、話しのネタには困らない。
講演にはレジュメも原稿も一切用意しないが、体力が続けば原稿なしで連続30時間程度なら喋られるだろう。
講演とは一方通行で進められるが、受講者の表情を観察しながら全員をエンディングまで引き込むことが大切で、それらはプロデューサーとしてのシナリオ構成力が役立っている。
「これを機に、葬儀について何かご質問は?」 そんな質疑応答が楽しいもの。それこそ何が飛び出すか分からないから面白く、それが私の最高の社会ニーズのリサーチともなっている。