2016-08-15

彼の思い出  NO 4946

篠山ゴルフ倶楽部友人のお通夜に行った。92歳になったお母さんが私を見つけると近づいて来られて泣かれた。親より先に出立するとは親不孝である。結婚披露宴の司会を担当した歴史もあるし、奥さんのご両親の葬儀、またお母さんのご兄弟の葬儀を担当したこともあるので私も親戚の一員のような雰囲気だった。

ネクタイ姿の遺影が彼らしい。晩年は様々な病気で闘病生活を強いられていたのは知っていたが、今春にNTT病院で偶然に会った時が最後だった。

導師が法話の中で「享年71歳」と言われた。昭和21年生まれなのでそうなるが、22年生まれの私が出立したら「享年70歳」となるのかと考えさせられた。

お母さんが昔話を懐かしく語っておられた。ご主人が先立たれたのは50年前だが、彼が大学を中退して家業を継ぎ、お母さんと番頭さんと3人でご苦労されていた。

私は彼に感謝していることがある。それは彼がメンバーとして入会していたある組織で欠員が生じ、同業以外の異業種からと私を指名してくれたことだった。最近は耳にしなくなったが、所謂「頼母子講」を運営しながら積立金で1年に1回旅行へ行く集まりだった。

毎月の会場となっていたのは寺田町駅南口にある料亭で、皆さんご高齢で企業のトップばかりで勉強になった話も多く、若い我々2人が可愛がって貰ったことを憶えている。

葬儀の仕事をしていたことから年に1回の旅行に参加したのは1回だけ。桜島の故郷温泉に宿泊して指宿で砂蒸し風呂を体験したことが懐かしい。

それから数年後、隠岐の島へ行く予定もあったが、仕事で当日に結成となって迷惑を掛けた。

そうそう、彼の近所の人達がゴルフの会を開催していたこともあった。彼が感じであちこちのゴルフ場を予約して来るのだが、当時はバブル前のゴルフブームで日曜日なので本当に苦労していた。

集合場所は寺田町駅の西側にある喫茶店「行ったり来たり」の前で、遠方のゴルフ場なので午前4時半集合ということもあった。

そんなゴルフで忘れられない思い出がある。記憶では篠山ゴルフ場だったと思うが、彼が私の後ろの組をラウンドしていた。雨でレインコートを着てプレーしていたが、最終ホールの第2打を左側の茂みの中へ打ち込んでしまい、クラブを手に茂みを叩きながら行くと、突然にスズメバチを大群が飛び出し急いでバンカーの所に寝そべることになった。

雨で全員がレインコートを着用していたことが幸いだったみたいで、ピンフラッグの回りを100匹ぐらいがブンブン回っている。そんな状態を知らない後ろの組の彼が「何を寝ているのだ?」と声を掛けて来て、「スズメバチだから来るな!」と叫んで事なきを得た。

事態が収拾してキャディーさんに「あんな所にハチの巣があるなんて」と言うと、彼女が「ハチの巣注意という看板があったでしょう」と返したので、同伴者が「そんなことを書く前に除去しておくべきだろう」と抗議した恐怖の体験談だった。

卓球、ボウリング、ゴルフなどすべてが個性的なタイプだった彼。でもそれなりに楽しんでいた。ギャンブル好きで麻雀を楽しみ、土日の競馬を趣味としていた彼。お母さんを見守って上げてくれと書いて手を合わす。

今日の写真は篠山ゴルフ倶楽部を。
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