2016-06-08

思い出したこと  NO 4879

駅弁玄関から疎開道路まで出て、押しボタン式の信号のボタンを押して「青」になったので歩き始めたら、後方からやって来た若い女性の自転車が私の前を横切った。

「すみません。ごめんなさい」と言って通り過ぎたが、後部に幼い子供を乗せた俗に言われる「ママチャリ」で、我が大阪が自転車のマナーで日本で一番最悪という報道を思い出した。

随分前のことだが、大相撲の大阪場所が始まると「北の湖部屋」が生野区林寺のお寺へやって来られる。ある時にNHKが「北の湖部屋」を特集して、お寺の近辺で力士たちが買い物をしたりする立ち寄る店舗を収録していた。

関取が昔から調髪をしている理容店が随分と流されたが、そのお蔭で知人のお好み焼き店で撮影された部分がカットされてしまった。数名の力士や撮影スタッフへお好み焼きを焼いて振る舞ったそうだが、放送日に観たら前々映らなかったと嘆いていた。

その番組を友人達と観ていたのだが、冒頭に出て来たのが商店街の光景。中央をオバサンが自転車で走って来る。商店街は自転車を押して通行するのがマナーで、さすがに大阪のオバサンだと思ってよくみたら、アップになって来た姿を観てびっくり。それは私の妻だったから。

NHKの全国放送で流れてしまった。その日の内に他府県の友人達から「観たよ」という電話があったのでびっくりしたが、しばらく外に出るなと笑うことになった出来事だった。

北の湖親方も理事長という激務で体調を崩されてこの世を出立された。北の湖部屋が誕生した際の祝賀会には800人ぐらいが出席する盛大なものだったが、お寺の住職に誘われたことからメインテーブルに座らせて貰い、隣りに親方の奥さん、真向かいに親方という席だったので忘れられない。

親方は私の友人がやっていた喫茶レストランにもよくやって来られ、友人と一緒に我が家のすぐ近くにある銭湯「南生野温泉」にも何度か来られたことがある。夜遅くに行くと「今日夕方にね、あなたのお友達と親方が来られていたわよ」と女将さんから言われたこともあったが、その友人夫妻も数年前に大阪での生活を止めて故郷の熊本へ帰ってしまった。

昨年に彼の家を訪問して一緒に近所の大きな居酒屋風ファミレスで食事をしたが、今回の大きな地震で大変な目に遭っていた。

彼の家は熊本駅から近かったが、駅まで迎えに来てくれて懐かしかったが、まさか新幹線が地震で脱線するとは想像もしなかったこと。往路は「さくら」を利用したので乗り換えはなかったが、帰路は「つばめ」から「さくら」に乗り換える行程だった。

ちかい内に熊本へ行こうと思っているが、余震が収まることを願っている。

今日の写真は九州新幹線オリジナルの駅弁「さくら咲く」を。
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