2016-05-31

合掌の姿で  NO 4871

食事の言葉今や世の中「何でもあり」の様相を呈しているが、過日の号でびっくりしたと書いた「小さなお葬式」の広告が今日も目に留まって衝撃を受けた。

ネット検索のトップページに大きな広告が掲載されている「不謹慎とは分かっていても事前にしっかりと考えたい」「お葬式の早割」「お申し込時たった1階500円でお葬式費用が最安168000円」と表記されていた。

人間様の終焉の大切な儀式も「早割」と表記されたら世も末のような気がする。アマゾンの「お坊さん宅配」で話題になった葬儀業者が低額な葬儀料金ならコンビニで支払い可能と打ち出してびっくりしたが、プロでない人達がネットを利用して隙間産業である葬儀の世界へ登場しているようだ。

プロは安売りはしない。なぜなら自身の仕事にプロとしての誇りあるからと言われているが、妥協をしてしまうとプロではないという言葉もある。葬儀という人生最後の重要な儀式を「早割」「スーパー」「コンビニ」となれば命の重さも軽くなるような気がする。

これまで重視して来た持論は「あなたの『大切な方』の人生最後の『大切な儀式』に『大切な宗教者』を迎える環境でお手伝いし、悲しまれる環境や、少しでも不幸でないひとときをプレゼント出来れば」というものだが、これらは「早割」「スーパー」「コンビニ」の対極にある考え方かもしれない。

ネット社会になって何でも紹介ビジネスが潮流となり、葬儀の世界もややこしい業者が乱立している現実となっている。イメージと異なる対応にクレームの電話を入れたら担当した業者が悪いのだからそちらへ言ってくれと言われて嘆いていたケースもあったが、紹介だけして高額な手数料を目的としている組織と契約する業者は問題業者が多いのも世の常であろう。

葬儀社という立場で忘れてならないことは担当させていただいたお客様の「家」の歴史に大きく関わった事実である。「この葬儀社がね、お婆ちゃんの葬儀を担当してくれたのよ」という家族の会話を考えると重責を担っていることを認識しなければならない。

「次の方ご案内」なんて姿勢で物を処理される葬儀に強い抵抗感を覚えてしまうが、私はそんな悪質業者から最も嫌われている存在になっているようだ。

この「独り言」だが、結構なアクセスがあるのでびっくりする。昨日も交流のある人物から手紙が届き、ちょっと触れただけでアクセス数が増えたのでびっくりと書かれてあった。
2002年3月から始めたので14年以上の月日の経過があるが、低湿で駄文の列記であっても継続の「量」の結果というのは想像以上である。

「シーンの会長のコラム」「まぐまぐブログ」「幸せ列車の小説『女将シリーズ』」の更新も大変だが、目が見える内は指先のリハビリを兼ねて続けるつもりだ。

今日の「小説 女将」では、団参で来られた方々が会食前に「食事の言葉」を唱和したことを書いた。外国の映画やドラマで食事をする前に祈りを捧げるクリスチャンのシーンを目にされたことがあると思うが、仏教の世界にも「食前の言葉」や「食後の言葉」の存在があり、私もこれまでの団参で何度も体験している。

今日の写真は2010年から変更された浄土真宗本願寺派の「食事の言葉」である。
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