2016-05-11

「酷道」ってご存じですか?  NO 4851

建中寺 御霊屋内今日「水曜日」はメールマガジン「まぐまぐブログ」の送信日。テーマは昔の慣習から屋号に採り入れた葬儀社のこと、また「樒(しきみ)」のことや地域会館を利用して葬儀が行われていた当時のことを書いた。

さて、熊本の学校の授業が再開したニュースがあり、ちょっとだけホッとしたが、ニュース映像の中に阿蘇大橋によって分断されてしまった地区の生徒達のために通学バスが準備されたというのがあったが、橋があれば20分の距離を1時間半も掛けて迂回することになって改めて深刻な現実を知った。

昔、阿蘇大橋を走行すると阿蘇の山麓に何か校舎が見えていたことを記憶しているが、今でも存在しているのだろうか。

57号線から崩壊してしまった橋を渡って高森方面に向かうと「高千穂」の方へ行くことが出来るが、40年ほど前にどこで間違ってしまったのかは不明だが、林道を走行することになって上り道が延々と続くので「いつかは下り坂になるだろう」と意地になって走っていたら「国見峠」という小さな表示が目に留まり、もう戻る気は失せてしまって峠を越えて下って行くと、何と「ひえつき節」で知られる椎葉村に出て川に沿った曲がりくねった道を下ると日向市に出てしまい、夜も遅くなってしまっていたので急遽旅館に飛び込んで宿泊した体験がある。

ネット社会になって様々なページの世界があるが、その中に「酷道」というマニアのHPが存在し、偶然に辿り着いて開けたら、その中に「国見峠」が「酷道」として紹介されており、その内容から改めてよく走り抜けたものだと思うことになった。

阿蘇大橋から15分ほど走行してから細い道を左折して阿蘇の方へ向かうと、温泉通に知られる秘湯「垂玉温泉」があり、様々な大浴場のある山口旅館があるが、そこまでの細い道は前方から車がやって来ると擦れ違うのが困難という状況だったことを憶えているが、大きな地震で土砂崩れがあって不通になっていたがもう開通したのだろうか。

温泉通の友人から「一度は行けよ」と教えられて立ち寄った訳だが、文化財のような和風の旅館で、湯を楽しむ人達には特別な環境だったことは確かである。

さて、今日の「幸せ列車」の「10年前の独り言」を読んだら、故郷の気仙沼に帰ることになった女性の元社員のことが書かれていた。彼女のことが気になったのは東日本大震災のニュース映像で観た気仙沼の津波による衝撃的な火災で、その無事だったことを知ることになったのは「幸せ列車」の管理人さんのコラムで紹介されていた新聞記事で、カラー写真で紹介されていた記事に彼女が出ていたのである。

3年前の秋に北海道への講演旅行の帰路に八戸、気仙沼と立ち寄って彼女と再会して来たが、何かも流されてしまった大変な状況から軽トラックでご主人と2人で始めた「なにわのたこよし」というたこ焼き店が地元で話題となり、何回か新聞記事で採り上げられ、私が気仙沼で再開した3ヵ月後に西田敏行さんで知られるテレビ番組「人生の楽園」で採り上げられていた。

管理人さんがこの新聞記事をコラムで紹介された経緯もドラマチックな偶然の出会いがあったが、その記事を目にした時の私の驚きは本当に不思議なご仏縁だったということになる。

今日の写真は先月末に団参で行った名古屋「建中寺」の「御霊屋」を。尾張徳川家の歴代の当主が祀られている。
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