2016-04-28

あの人は  NO 4838

さんふらわあ11深夜のテレビ番組で観たかったのが我が国の囲碁の歴史にその名が輝く「藤沢秀行氏」を特集するもので、息子さんが生前の人物を語る内容に驚いたが、様々な逸話も伝わる破天荒なプロ棋士は多くの弟子さん達から慕われていた。

ギャンブルとウヰスキーをこよなく愛された氏はアルコール中毒で幻覚まで訴えられていたそうだが、アルコールを断ってタイトル戦に臨まれたこともあり、その実力は誰もが認めるものであった。

「ヘボ碁ダメなし」レベルの私が囲碁を覚えて様々な関連書物を読んだが、やはり印象に残っているのがこの方で、「見損じ」や考えられない「ポカ」もされていたことも知られている。

氏のお孫さんの藤沢里菜さんは11歳6か月でプロ入りした記録が有名だし、現在17で
女流棋戦史上最年少優勝や女流本因坊市場最年少記録など注目されているが、今後は間違
いなく様々な記録を塗り替えられることだろう。

晩年はガンという病気で壮絶な闘病生活を強いらていたが、そんな中でいつも囲碁のことを考えられていたそうだし、今日の番組の中で奥さんが「長い結婚生活で一つだけプレゼントされたものがこれです」と見せられたのは奥様ご自身の位牌で、その戒名は氏が自ら考案されたものだった。

因みにその戒名は「紫雲徳徳大姉」で、紫雲とは臨終時にお迎えに来られると言う仏様が乗られる雲で、香川県の高松市に「紫雲山」の存在があるし、数奇な運命で知られる宇高連絡船の「紫雲丸」については「まぐまぐブログ」の中で触れておいた。

過去のこの「独り言」で氏が小学生の弟子を伴われて「名張棋院」のオープン記念イベントに招待された際の面白いエピソードを書いたが、それは囲碁のプロとアマのレベルの違いを物語る出来事であった。

昔、阿倍野の近鉄百貨店のイベントでプロ棋士による「10面打ち」を観に行ったことがあったが、それが誰だったかは忘れてしまったが、プロとは凄いものだと衝撃を受けたことを記憶している。

現在の囲碁の世界では「井山祐太プロ」が七冠のタイトルを獲得されて話題になっているが、そんなタイトル戦が行われた温泉地の旅館にも訪れたいと思っている。

今日の写真は1974年10月1日に大阪と鹿児島間に就航した日本高速フェリーの「さんふらわー11」だが、就航後間もなくに利用したことがあり、もうあれから40年の月日が流れていることになる。

これまでのフェリーの3倍以上の建造費を要した豪華な大型船で、直列の2本の煙突に特徴があったが、2年半ほどしてから志布志港へ立ち寄る航路となった。

この船の晩年はフィリピンに売却され、改造後にマニラとセブ島に就航していたが、1998年9月19日に台風の中で沈没事故を起こしている。

過去の「独り言」で触れたが、他にも私が利用した船で1963年就航の鹿児島と那覇を結ぶ航路の「ひめゆり丸」も1975年にフィリピンに転売され、一度火災事故に遭った船を改造して1980年に「ドニャ・パス号」として就航したが、小型タンカーと接触事故を起こし、タンカーから漏れたガソリンで海が火の海になって船舶事故として記録的な被害者を出すことになっていた。

考えてみれば飛行機を恐ろしいが、船も怖いものである。何れにしても「今日あることの幸運」に感謝して手を合わせよう。
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