2016-02-09

命の伝達  NO 4461

プリンス グロリア核家族という言葉が言われるようになってから随分経つが、喪主を務められる息子さんが他府県に家を建てられ在住されているケースも多く、今日は前号紹介した「有為転変」にあった「核家族」をテーマにした出来事を紹介しよう。

有為転変から「こんなことも」
もうすぐ80歳の誕生日を前に、お爺ちゃんが亡くなられた。看取られたのは76歳のご伴侶だけ。2人の息子さん達はそれぞれ他府県に在住され、それぞれの生活を過ごされていた。

一方で、社会人となった初孫は勤務している会社の寮生活。都会の大学に通う他の孫達は下宿しており、お爺ちゃんの入院中、寂しいことだが3人の孫の見舞いは1回もなかった。

ずっと付き添っていたお婆ちゃんと看護師さん達の間で残念な会話があった。「孫達が来てくれたら元気になるかもしれないのに」ということだった。

高齢になってから発見された病気だったが、本人に少しでも「生きたい」という精神的欲望がなければ病状が悪くなるのが常識。それは、息子夫婦が達が入院の日に担当医師から教えられたことだったが、老夫婦は、そんな「元気の素」について互いに病室で互いに触れないように過ごして来たことが何より悲しく、孫が登場するようなテレビ番組さえ避けていた。

地域の長老として存在感の高かった故人。病院から自宅に搬送された頃には訃報を知られた多くの人達が弔問に来られ、そんな光景はお婆ちゃん以外の家族達には驚きみたいだった。

葬儀を担当することになった葬儀社の社長も老夫婦とは長年の交流があり、近所の居酒屋で故人から何度か愚痴を聞かされ慰めた出来事もあった。

大企業の管理職を務めるという2人の息子達。仮通夜の時にはもう100通を超す弔電が届き、誰もが知る企業の社長や役員からの立派な供花が届いて枕元に供えられていた。

次の日の午後、迎えるお通夜の打ち合わせが終わった後、式場の寺院控え室にお婆ちゃんと葬儀社の社長がお茶を飲みながら話し合っていた。話題はもちろんお爺ちゃんの思い出話だが、そんな会話の中でお婆ちゃんが予想もしなかった願い事が出て来た。「息子夫婦や孫達を泣かせて欲しいの。辛かったお爺ちゃんの思いをうまく伝えられるようにして欲しいの」と言われたのである。

それまでの付き合いからその心情は理解出来るが、それを「かたち」として具現化するのは簡単ではないし、果たして許されることだろうかという疑問も生まれ、多くの参列者の存在を考えると葛藤を表面化することは望ましくないと判断するのも無理はなかった。

もしも実行するなら誰にも傷付けないシナリオを描く必要がある。「任せるから」と頼まれて「考えてみます」と答えた社長だが、廊下に出て考えながらふと思い付いたことがあった。

そのシナリオは自分が病人になって病室にいるような心情になって考えたら浮かんだアイデアで、心の中でそれしかないと思っていた。

「故人の生い立ちや為人(ひととなり)」を語るナレーションが多いが、それは生きられた「証し」の短い「点」みたいなもの。それでこの家族に伝わるものはないだろう。そこで通夜用として組み上げたのが「病室の独り言」という物語で、お爺ちゃんが呟かれていた言葉をお婆ちゃんがまとめたように創作したものであった。

「今日の新聞記事にあった悲惨な事故。孫達は読んでいるかなあ。車を運転するなら絶対飲酒運転はいかんし、事故を起こさないように願ってしまうなあ」
「ハンカチ王子か。凄い選手だ。孫達は頭や腰にタオルという肉体労働者でもよい。元気に働く人間になればそれでよい」
「病気とは嫌なものじゃ。子も孫もそれぞれが病気をした。初孫が生れてすぐの正月だったなあ。中耳炎が原因だったが、高熱を出して夜間の緊急治療センターに走ったのを憶えている。医師から後遺症があるかもしれないと言われたが、その後に何ともなかって幸いだった」
「最近は『いじめ』が問題のようじゃ・孫達がいじめられていたらわしが行ってとっちめてやるし、いじめている側の人間になっていたらぶっ飛ばさなければならん」

そんな「独り言」が4分ほど続いた。最前列に着座されている家族達が全員下を見ていたが、しばらくすると祭壇の遺影に向かって手を合わせておられる。その後ろ姿からするとどうやあお婆ちゃんの願いが「かたち」となって伝わったようだが、このまま終わらせたあプロとして完成度がまだまだ。ファミイーに提案して「お爺ちゃんへの思い」を「かたち」にとアドバイス。それは次の日の葬儀の式次第に追加。

3人の孫が祭壇の前に出て、幼い頃にお爺ちゃんがお風呂で教えてくれた「カモメの水兵さん」を歌ってくれた。

小中学生ならまだしも、大学生と社会人になった孫達がこの歌を献唱するとはかなりの羞恥心を感じただろうが、彼らは司会者がフォローするべきコメントも必要とせず、歌う前に自分達の想い得話を語り、3人に共通するこの歌を選択したのである。

不幸な中で「不幸でないひととき」が見事に完成した出来事だったが、祭壇のお爺ちゃんのご遺影が嬉しそうな表情をされたように見えたし、その後にお婆ちゃんが大切にされることになったおは言うまでもない。

今日の写真は過日に行った昭和の町で撮影した懐かしいプリンス・グロリアの写真を。縦目の4灯式ヘッドライトが印象に残っている。
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