2015-12-03

病気と寿命  NO 4393

あべのハルカス昨日にポスティングされていたものにびっくりした。「なぜ生きる」「親鸞聖人のお答えを聴く」という仏教教室が販売されている講話のCDの案内で、6枚セットだそうで次のように区分けされていた。

「お釈迦様と阿弥陀仏」「仏教が明かす運命の仕組み」「真実の鏡に映る本当の私」「何のために仏教を聞くの?」「なぜ生きる?と仏教」「知っておきたい仏事の心得」

申し込んだら無料の視聴用CDを送って貰えると書かれていたが、本体の方は1580円×6回となっていた。

様々なポスティングが入っている時代。冠婚葬祭互助会もあれば葬儀社もある。宗教の本部が定期的に発行されている機関誌もあるし、ズバリ入信勧誘という物もある。

インターフォンを鳴らして「ちょっとお時間を。お話を聞いてください」という勧誘もやって来るが、私は葬儀社だから様々な宗教を少しずつだけど学んでいると返しても、「ご冗談を」とお断りの口実みたいに思われてしまう。

昨日は衝撃のことがあった。青春時代から深い交友のある人物が大変な病気で入院している事実を知ったからだ。彼は大学時代にお父さんを亡くして中退をして家業を継いでいた。

40年以上も前のことだが、大晦日に私の家で一緒に紅白歌合戦を観ていたら、終わって「行く年来る年」の放送が始まると同時に電話が鳴り、葬儀の依頼があった。そのお客さんは友人の名前を言われ「その隣です」と言われたのだからびっくり。今私の所へ来ていますと申し上げたら驚かれていた。

「隣のお婆ちゃんが亡くなられたそうだ」と伝えると「前から悪いと聞いていたけど、まさかお正月にお葬式になるとは」とびっくりして、「これで正月はお葬式の手伝いだ」と覚悟をしていた。

彼の結婚披露宴の司会を担当した思い出もあり、彼を含めて「3人の会」みたいな交友があったが、一人は十数年前に病気が発覚してしばらくすると亡くなってしまったので衝撃だった。

大阪府下の式場で行われた葬儀の司会を担当したが、その時のナレーションは辛かったことを今でも憶えている。

人はこの世に生を享けた以上何時か死を迎える。死亡率はそれこそ100%である。死に
様、生き様という言葉があるが、ご仏縁に結ばれた人がこの世を出立してしまうことは寂
しいことだ。

私のように10回の入院をしても存命しているケースもあるが、つくづく思うのは病気と寿命とは異なるということ。

阿倍野の近鉄百貨店まで歩いた。阪和線の高架下を通って坂を上がり始めたところで後方から自転車に乗った女性に声を掛けられた。数年前にご主人を亡くされて葬儀を担当したが、何とかお元気に過ごされているそうで安堵した。あべのハルカスや公立の学校で行われている着物の着付け教室の講師を担当されているそうで、孫の成長を楽しみにしていますと語っておられた。

「9770」「9120」が昨日と今日の歩いた歩数だが、ちょっと体重減につながったのではと期待を抱きながら銭湯で測定したら、400g減っていただけで、「ダイエット グラムで減ってキロで増え」という何度か紹介した川柳を思い出した。

銭湯で馴染みの常連さんと会った。過去に大手術を受けられており、胸から背中まで手術の傷痕がはっきりと残っている。「こうして銭湯へ来られるだけで幸せだ」と言われていたが、同感を覚えながら先に出た。

今日の写真はあべのハルカスと近鉄百貨店。
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