2015-10-28
健康寿命 NO 4355
今日「水曜日」はメールマガジン「まぐまぐブログ」の送信日。テーマは過日の北海道研修会のことに触れたが、誤字が多くて申し訳なかった。「スーパー北斗」が「スーパー宗谷」になっていたし、「行きたい」が「生きたい」になっていたので恥ずかしい限りだった。
朝から夫婦でご近所の方の葬儀に参列。私より若い方だったので寂しくなった。女性司会者のアナウンスやナレーションがいつもの感じと違っている。これまで耳にしたイメージから一段と優しくなっているからで、式の最中に通り掛かったので「何かあったの?」と質問したらびっくりしていたが、「優しくなっているから」と伝えると嬉しそうな表情をしていた。
きっと何か心境の変化があったと思っているが、このイメージこそ葬儀という世界に求められる究極のレベルだと嬉しく思ったことを書いておこう。
前にも書いたが、この世に生を享けた以上、いつかこの世を出立することになるが、その日まで最近に耳にするようになった「健康寿命」という言葉を大切にしたいものである。
夫を見送ることが85%、妻を送るケースが15%で、その後の平均余命は男性「5年」で、女性が「20年」というのだから男とは弱いようだ。
昨夜に友人達と恒例の会食があった。一人の友人のお父さんが100歳を迎えられて「銀杯」が届いたそうだが、お母さんも95歳になっているそうでご長命の家系のようで肖りたい。
新幹線を利用して100歳記念の旅行にも行かれたそうだが、羨ましく思う人が多いだろう。
葬儀という仕事を長年続けて来たが、100歳を超えられた方の葬儀を担当することは珍しいことだった。しかし、私が50代の時に、3日間続けて「105歳「101歳」「102歳」の方を担当したこともある。
ご祭壇のご遺影から「あなたはまだ若い」と言われているような気がしたことを憶えているが、その後に何度も入院しているのだから困ったものだが、奇跡的に生かされているのだから不思議である。
ある方から「葬儀という仕事をしているから助かったのよ」と言われたが、「それだったらこんな病気になっていない」と嫌味で返したこともあった。
「動ける内に何処かへ行こう」という話題になって温泉へ行くかということにもなったが、あちこちの穴場を知っている人物だったので全く知らなかった温泉名が出て来たので興味を抱き、帰宅してからネットで検索したらアクセスの不便な秘湯だった。
しかし、勧めるだけあって「こんな秘湯にこんな設備が!」というように充実した温泉旅館で、雪解けの季節を過ぎたら是非行ってみたいと思っている。
そうそう、来春の講演依頼が数件入っている。大病を患って声帯を損傷しておかしな声となったが、リハビリからコミュニケーションだけは可能となり、講演活動をしている事実を知られた方から要望されたようである。
少なくとも来春まではこの世に存命するようにしなければならない。先月と今月に参列した知人の葬儀で2回「お別れの言葉」を捧げたが、参列されていた方から「私の時にも」と頼まれたことに責任を感じている。
今日の写真は「スーパーとかち」の車内で撮影したもの。