2003-05-21

静寂のひととき     NO 436

91歳のお婆ちゃんの葬儀、4分50秒の追憶ビデオ。生のナレーションを担当した女性スタッフに余裕が生まれ、エンディングをタイミングよく合わせることが出来るようになった。

 私が創るナレーション原稿、彼女がナレーターの際には、80文字程度を少なく創作している。

 ナレーターにも個性があるのは当然。本人が持っている良い部分を磨き、わるい部分をカットする教育。取り敢えずは基本的な研修から始めているが、今、彼女は個性を生かせる段階に入ったようで、今後の指導レベルをステップアップしようと考えている。

 明日、私は出張の日、早朝から出掛けるが、明日の葬儀はスタッフが力を合わせて担当してくれるだろう。

 23日は友引の日、今日お電話をくださったお客様は友引を避けられ、24日の葬儀をご希望されたそうだ。

 友引や大安などの六曜に対する慣習が徐々に薄らいできているとは言え、まだまだこだわる方もあり、友引の日を休日としている火葬場が全国にあるところから、これらは簡単に消え去るものではないと予測している。

 大きな声で言えないが、私は友引の日の葬儀が好きである。なぜなら故人にとって本当の終焉の場所となる火葬場が閑散としているからで、静かな葬送の儀式の締めくくりが可能となるからだ。

 友引でない日、同時間に数件のご入場があり、様々な宗教の合唱光景が生まれる。

 讃美歌が流れ、その隣で友人葬だろうか創価学会の皆さんのお題目が聞こえる。

 当家のお客様はお念仏、右隣りでは神式で奏楽の調べをバックに神主さんの祝詞が奏上されている。

 「なんと賑やかな」 そんな思いの表情が参列者に見える。その帰路は「あれは?宗」の質問攻め。それぞれの解説をしながら式場に戻る車中となる。

 友引の日、私の担当するお客様だけの時間となることが多い。広々とした空間に導師のご読経のお声だけが流れる。それは、また、不思議なほど儀式空間を創造してくださるもの。そんな中で炉の扉を締める音が響く。

 それは、決別の情を断つ「引導」の音にも聞こえる。

 殺伐とした社会。騒々しい世の中の毎日。そんな生活の中で行なわれる「静寂」のひととき、それは、すごい贅沢なものであるかも知れない。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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