2015-04-07

あの瞬間(とき)  NO 4153

今日4月7日は「戦艦大和」が最後を迎えた日である。今年になってから「戦艦武蔵」が発見されたこともあり、戦後70年目を迎えた中で、愚かな戦争が起きないように願っている。

両陛下がずっとお心残りとなっていたパラオへの慰霊訪問に行かれることになったが、戦争の爪痕とは多くの被害者の存在があるだけに消えることのない深さが秘められていると言えるだろう。

両陛下がサイパンのバンザイ岬で黙祷を捧げられた報道写真が印象に残っているが、私のような葬儀に携わってきた立場でも、戦後というものが続いていることを体験するケースは少なくなかった。

故人が戦前に軍務に奉職され、南方諸島や中国、酷寒のシベリアで過ごされたご体験があると、必ず戦友の方々が参列され、遺族の方々に辛かった体験談を語られたり、捧げられた弔辞の中でその壮絶な現実を学んだこともあった。

戦友の方の弔辞に合わせて参列された皆さんに軍歌をご唱和いただいたことも多かった。印象に残っているのは海軍の皆さんが参列された際に歌われた「海ゆかば」の曲。ご唱和の時には吹奏楽のBGMで歌われたが、弔辞のBGMをハモンドオルガンで私が演奏したら「若いのにこの曲を知っていたのか!」と驚かれて喜んでくださった思い出がある。

硫黄島の激戦を採り上げた映画があったが、現実はもっと悲惨だったと言われており、戦後生まれの団塊世代を含めた若い人達には映画の世界でしか知ることが出来ないが、遺族と呼ばれるようになった多くの人達の存在があったことを忘れないようにしたいものである。

あるホテルで行われた大規模な社葬本葬儀があった。故人は65歳で会社を後継者に任され、相談役という立場になって実を軽くされ、それからの晩年は奥様を伴って東南アジア方面の激戦地を訪問され、戦友達の遺骨を供養するために費やされ、その行動体験を奥様が記録され、十数年後に立派な書物として上梓された。

その葬儀には遺品などを届けられたことのある戦友の遺族の方々の参列も多く、通夜を担当して帰宅してからその本を3時間掛けて読み、下書きしてあったナレーションを白紙にして書き換えたことを憶えている。

戦友という関係に生まれる「絆」は何よりも強いものである。それは互いの命という問題つながっていたからだろうが、戦争体験者が最近の命を軽んじる社会の現状を嘆かれているような気がする。

今日の写真は「戦艦大和」の雄姿を。3000名を超える乗員が犠牲となり、生還されたのは300名に満たなかったという悲惨な歴史が語り継がれているが、今でもあちこちで愚かな戦争をやっている現実に、つくづく人間の愚かさを再認識してしまう。
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