2015-02-16

過去・現在・未来  NO 4106

加盟している協会の事務局から毎週水曜日に発信しているメールマガジン「まぐまぐブログ」の原稿を依頼され、取り急ぎ6本分を送信しておいたが、前から書置きしていたものがあったので助かった。

「幸せ列車」のコラムも30本ぐらいの原稿をプールしてあるが、毎日のニュースに合わせてタイムリーにと考えたいことが時折に発生するので順番を変更することもあり、その度に原稿が増えるということも起きている。

「書く」ことは恥を「掻く」ことと何度も書いたが、散歩している途中で会った人から「毎日読んでいるよ」と言われることもあるので恐ろしいし、参列したお通夜や葬儀のことで故人のことに触れたら「有り難うございました」と喪主さんからメールをいただいたこともあった。

書きたいことは山ほどあるが、掛けないことの方が多いことも世の中の現実。無理が通れば道理が凹むという言葉もあるが、いつかは書きたいことを心の中に秘めており、この世から出立することを悟った瞬間にしたためて行こうと考えており、その部分については書き込んでいつでも出せる準備をしているが、読まれたら衝撃と驚嘆されるだろうと想像する。

この世で「生」を終える瞬間を「臨終」と言うが、それは「臨命終時」も略で、それを迎える前に飲む水を「末期の水」とも呼ばれている。

この世に未練なく来世に夢を託して出立することが出来れば最高だろうが、果たしてそんな人がどれだけおられるのだろうかと想像する。

この仕事に従事して心に刻んでいることがある。それはもう百歳を超えられても医師として現役でおられる聖路加国際病院名誉院長の日野原重明氏のお言葉で、ガンという病気の末期症状の患者さんにも意識が朦朧とする傷み止めを投与するのではなく、看取られる家族と会話が出来るような環境を大切にすることも医師としての重要な責務であるということだった。

「有り難う」「みんな仲良くな」「婆さんを頼むぞ」というような会話を交わしてから出立することが理想で、それこそが「看取り」の意味であるというお考えだった。

先生も今年の10月に満104歳を迎えられるので肖りたいが、90歳を超えてからピアノに挑戦されたりしていた事実を知って驚嘆したことを憶えている。

大病を患った後遺症で目が不自由になりつつあり、あちこちに問題となる症状を感じ始めたので自身の現在を悟るようにもなったが、これまで杖を手に歩けたことには有り難いことだと手を合わせている。もしも寝たきりにでもなっていたら最悪だったと感謝している。

数日前に読んだ本の中に考えさせられる言葉があった。文芸評論家の「山内由紀人氏」の「三島由紀夫と東京オリンピック」と題された文章の中のことだが、当時に新聞社の特派記者だった三島氏が東京オリンピックの閉会後に「無力の宗教」「肉体の無力の象徴」という言葉で表現していた事実で、その意味について深い興味を抱くことになった。

高額な中継料や大きな負担のスポンサーがなければ成り立たない現在のオリンピックだが、韓国で開催予定の冬季オリンピックにも懸念の声が出ている。崇高である筈のスポーツの祭典がビジネス的にプロデュースしなければ開催不可能と言う現実も寂しいし、思想や宗教の異なりで争っているニュース映像を観ながら人間社会の愚かな「業」を考えてしまう。

今日の写真は歴史に残る偉大な建築家であった丹下健三氏の設計で完成した「国立代々木競技場」で、世界中の話題を集めたものである。
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