2015-01-28

弔 電  NO 4087

今日「水曜日」は「まぐまぐブログ」の送信日。今日のテーマは「御斎(おとき)」で葬儀や法要の後の会食についてだが、普茶料理についても触れておいた。

さて、家族葬では弔電が届くことは稀だが、一般的な葬儀には喪主さんが勤務されている会社関係やご家族の関係者、参列出来ない親戚、友人などから届くことが多い。

弔電と呼ばれるものだが、昔は全て「カタカナ」で表記されており、句読点を間違えるとおかしなことになるので神経を遣ったものである。

例えばの話だが、末文に表記された発信された人物の名前が「ヌマタクミ」となっていたらどうなるだろう。「沼 多久実」「沼 匠」「沼田 久美」なんて考えるだけでゾッとするが、早目に配達されていたらご遺族にかくにんすることが可能だが、開式後に届く場合もあり頭を悩ませる問題となっていた。

そんな弔電も漢字や平仮名で表記されるようになったので楽になっているが、様々な種類があることも問題で、固定マイクで両手が使えたら問題ないが、ハンドマイクの司会者には捲る作業が想像以上に大変で、もしも飛ばしてしまったら責任問題になる危険性を秘めている。

数百円の弔電から一通数千円の漆タイプの物まで何種類もあり、それぞれの厚さが異なっているだけなら何とかなるが、電文が記載されたプリントが挟まれているだけの物があったり、挟み方が逆になっている物もあるので苦労する訳である。

過去に体験したことだが、線香入りの弔電が神式の葬儀に届いてご遺族の顰蹙を買っていたこともあったし、「御母堂」と「御尊父」を誤っていたケースもあった。

ある社葬でお寺様の控室に打ち合わせに行ったら、弔電のトップから5通ほど発信者を確認され、3通が議員からと判明すると「義理的な弔電は最後に代読しなさい」と命じられたこともあった。

持論からすると弔電の順位は「肩書き順」ではなく「文章力順」と考えているが、決まり文句のバージョンを選択されていることが大半で、オリジナルな電文を目にするのは1000通に1通ぐらいが現実である。

過去に書いたことがあるが、前述の「句読点」について逸話があるのでもう一度紹介しておこう。

あるお寺で住職が手紙を書いているところへ出入りの仏具店の主人がやって来て「住職はよろしいなあ。『。』や『、』で生活が出来るなんて。と嫌味を吐いたのだが、それに対して住職は「二重にしてくびに巻く数珠」と書いて注文をした。

注文をいただいたと喜んだ数日後に完成した数珠を届けたが、それは「二重にして首に巻く」長い数珠だったが、住職は「こんなものは注文していない。わしが頼んだのは手首に巻く数珠じゃ」と返品したのだが、もうお分かりのように、「して首」と「し、手首」と句読点の場所で意味が異なる仕返しをした訳だが、店主は句読点の重要性を改めて認識させられた出来事となった。

結びにご仏縁に結ばれる友人が体験した葬儀の弔電ハプニングを紹介しておこう。ある学園で行われた創始者の学園葬だった。女子学生のコーラスも式次第に入っている厳粛な葬儀だったが、校長が弔辞を捧げ、教頭が弔電を代読することになって次第が進んで行った。

やがて弔電代読の時を迎えた。びっくりするほど緊張していた教頭が弔電を読み始めた。「ゴセイキョヲイタミツツシンデオクヤミモウシアゲマス」という文章だったが、句読点を間違ってしまったとろから大変なことになった。「ご逝去を悼みつつ 死んでお悔やみ申し上げます」となってしまったからで、女子学生からクスクスというかすかな笑い声が聞こえた瞬間、式場となっていた行動はしばらく苦笑のひとときと化してしまった悲しいハプニングとなってしまった。

今日の写真はNTTの線香入り弔電だが、相手様の宗教を確認することが大切で、クリスチャンや神式の葬儀に送付しない配慮を考えたいものである。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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