2015-01-18

月日の移ろい  NO 4077

午後から行われていた葬儀に参列、ナレーションを耳にしながら故人のご生前を偲んでいた。

導師を務められた方は大阪市内のお寺様ではなかったが、後継者となられた息子さんで、先代さんが遷化されたことを知った。

この地区の仏教会に講演を担当させていただいたご仏縁があり、当時を懐かしく思い出したが、月日の流れに世の変化も感じるこの頃である。

式場を出る時、昔のヘラブナの釣り仲間のご伴侶の訃報を聞いた。随分昔のことだが、生野本通商店街の源ヶ橋から少し東へ入った所に釣具店があり、ヘラブナ釣りの同好会の組織があり、その交流から何度かご一緒に釣行した人物の奥様だが、ご自宅に立ち寄らせていただいた時にいつも上品な雰囲気を感じる方で、優しいご表情でお茶を出してくださったことを憶えている。

当時の釣り仲間の多くが高齢を迎えて亡くなってしまい随分と寂しくなったが、それだけ私が若かったこともあるからで、「あんたが送ってや」と言われた方もおられたので責任を感じている。

生野西、生野東、林寺、舎利寺、勝山など地元の人達が多く参加されていて、特に多かったのが商店街の人達だったが、時代の流れからだろうか、その人達の多くがゴルフに転向され、ゴルフの同好会も組織されて月例会まで行っていたが、10年ほど前に解散となっている。

そんな人達を多く送らせていただいたが、最も若かった私自身も高齢を迎えている。何度も入院したが生かされている不思議に手を合わせている。長い間会わなかった人と再会すると杖を手にしているので驚かれることになるが、患った病気のことを伝えると皆さんが「信じられない!」と言われる。病気と寿命は異なる別物という言葉があるが、これまでの体験からするとそれが間違っていないように思える。

葬儀という仕事で司会を担当させていただくと1回で数十人から数百人、また4桁という人数の方々に声と姿で接しており、こちらが記憶していなかっても相手の方が憶えていることも多く、声を掛けられてびっくりすることも少なくなかった。

生放送のテレビ出演をした次の日の葬儀で「昨日、テレビで観たよ」と言われたことも多かったし、ある生放送の番組の中で驚く出来事もあった。

その番組には多くの女子大生が参加しており、番組の進行中に何か視線を感じることが気になっていた。1時間半の生放送だったが、番組が終わると同時に一人の参加者が近付いて来られ、「その節はお世話になりました」と言われてびっくりした。

彼女が高校生だった時代ということから3年ほど前ということが判明したが、お爺ちゃんの葬儀を私が担当していたというご仏縁があったことを知った。

そんな会話を交わしていたら番組関係者の人達も驚いていたが、世の中には予想外の出会いもあるものだ。

今日の写真は釣り仲間に人気の高かった釣り池「中セ池」を。過去に書いたことがあるが、この池のお爺ちゃんが担当していた「おでん」が最高だったことが忘れられない。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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