2003-05-11
ベルトコンベア NO 425
弊社の企画室本部長が、2人の女性スタッフを伴って出張している。
行き先は、神戸のホテル。トータライフ協会のメンバーが担当している「お別れ会」の見学であるが、日頃に深い交流のある両社。こんな互いの見学体験が大きな研鑽の場となり、体感に勝るものなしという裏付けにつながる。
夜、ある会合があって出席すると、知人から「時間をくれないか」と誘われ、近くの喫茶店で1時間ほど悩み事を聞くことになった。
彼は、今年就職した娘さんのことで悩んでいる。大手の家電メーカーに就職をしたが、もう辞めたいと本人が言い出しているそうだ。
その原因として彼が打ち明けたのは、「ベルトコンベア」。彼女はベルトコンベアに乗って流れてくる目の前の製品に対して、定められた工程を施すだけという極めて単純な仕事をしているとのこと。
そして、映画「チャップリン」の名作「モダンタイムス」のことを比喩しながら、娘が哀れでならないと嘆いている。
世の中には様々な仕事があり、製造に携わる業務にこんな心情を抱くことも少なくないだろうが、私は、我々葬祭業のことを思い出しながら照らし合わせてしまった。
これらが大規模葬儀社や互助会組織でマニュアルをこなすスタッフにも共通し、弊社のように「手造り型」の葬儀で、担当させていただく毎回の葬儀の内容が異 なるという形式とは対照的であり、「遣り甲斐」ということから単純という仕事は人の心までそうさせてしまうとを再認識することになった。
それぞれの人の人生が異なるのは当たり前。その葬儀が異なることは必然であり、「次の方、ご案内」というようなベルトコンベア型のサービスでは申し訳なく、それらはプロの仕事ではなく単なる「作業」となってしまう。
人の終焉に儀式として行われる葬儀。それは、「作業」ではなく「仕事」として携わらなければ人生に対して礼節を欠くことにもなるだろう。
しかし、弊社のこんな葬儀のプロデュースにも大きな悩みがある。提供する側の我々にも限界があり、最高のキャスティングでサービス提供を行うには、1日に2件のお客様ということになる。
昔、1日に8件の葬儀を担当したことがあったが、その日に通夜を迎えられるお客様も数件あり、限られたスタッフですべてをご満足に至らせることは絶対に不可能なこと。
そこで問題が生まれてくることになり、スタッフが育ち始めると中途半端な仕事がやりたくなくなり、結論として「真に恐れ入りますが」とお断わりをすることになるのである。
そんな申し訳の立たないお断わりをしてしまった葬儀も少なくないが、その内の10数件のお客様が「1日延ばしてもいいから」とおっしゃっていただいたことには、スタッフ共々涙したのは忘れない。
今、スタッフが成長してきている。それぞれがもう少しグレードアップ出来れば、新しく受け入れるスタッフを成長させることも可能となるが、「ベルトコンベア的な葬儀をやりたくない」と言い切る彼らを見ていると、その日が遠くないところまできていると確信している。