2014-12-27

思い出したこと  NO 4055

年の瀬を迎えている。深いご仏縁に結ばれるお寺さんの檀家総代さん達との忘年会に参加させていただいた。真向かいの席に大正生まれの女性が座られたが、そのお元気な様子に肖りたいと思った。

そんな中で、数日前に密葬義を行われた総代さんのことが話題になり、高齢のお母様を残してご逝去された事実に手を合わせた。

故人とは昨年の春に団参で行った「誕生寺」参拝や帰路に立ち寄った室津のお寺でご一緒したので信じられなかった。

御出身地は遠方だが、その地からご親戚の方々が参列された中、しきたりの異なりを知って驚くこともあった。

お寺のご本堂に昔からびっくりするものが奉納されていた。それは高さ1メートル直径20センチぐらいの立派なローソクで、カラーの花の彫刻が素晴らしかったが、それはそのご出身地の産であったと記憶している。

本葬儀は新年を迎えてから行われるが、導師を務められるご住職からくれぐれもよろしくとの言葉に恐縮したが、お母様も昔から何度もお会いしたことがあるのでご心中を拝察すると堪らなくなった。

仏前結婚式をされた娘様も来られていた。3人の子供さんが誕生されているが、お寺での挙式とホテルでの披露宴の司会を担当させていただいたご仏縁もあり、あれから10年も経過したのかと感慨深い思いもあった。

「新郎新婦の入場です。恐れ入りますが拍手はご遠慮ください」で扉が開いて入場という進行だったが、高砂の席に行かれるまでは音楽と言葉だけのひとときだった。

ご住職があるご仏縁のあるお寺様の結婚式と披露宴に出席されたそうだが、挙式と披露宴の両方に雅楽の生演奏が入り、披露宴の新郎新婦の入場の際にも雅楽の演奏が流れたのに、女性司会者の「盛大な拍手でお迎えください」という発言で折角の会場空間が勿体なかったとご指摘されていた。

扉を開けてから高砂の席まではゆっくりと入場されるので結構時間があり、拍手がトーンダウンしてしまうことも当たり前。だからこそ拍手なしで迎え、高砂の席に立たれた時に盛大な拍手をと要請するのがよいのである。

皆がやっているからとか昔からこうだからと行われていることをひとつひとつ見直してみると意識改革するべきと気付くことも少なくない。葬儀の世界で流行に至った様々な発想があるが、その本質を学んで発想転換をしたものであり、そこに「温故知新」という言葉が当て嵌まる。

今日の写真は京橋駅に停車していた京阪特急のラッピングにびっくり。子供達に大人気のトーマスだったからで、調べてみると特急だけではないことを知った。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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