2014-11-11

注射は嫌いだが  NO 4009

暗くなってから医院へ行った。常用している薬を貰いに行ったのだが、受付の人から「インフルエンザの予防接種を」と言われ、問診票に書き込んでから接種を受けて来た。

毎年受けているものだが、何かの足しになればと考えての行動である。

ナレーションの原稿を創作していた頃、「辛くて厳しい闘病生活を過ごされた病室の、白い天井を見ながら去来されたことはどんなことだったのでしょうか?」なんて言葉を入れたこともあるが、自身が何度も入院体験があるので思い浮かぶことは一入強い思いを感じている。

社 会に「終の準備」という言葉が目立って増えて来ている。私自身も様々な病気になった歴史もあり、自分がいつこの世を出立してもよいように、心残りないよう にと考えて行動したいと思っており、相続させるような財産はないが少なくとも葬儀という仕事に携わって来たので自身の葬儀の「ありかた」をしたためておく ことも重要と思い始めている。

我が日本の文化の言い伝えに興味深いことが幾つかあるが、そんな一つが熊野参詣で、この世を出立した人にゆかり深い場所という説もあるし、枕元に準備する「一膳飯」が一度は立ち寄ると言われている信州「善光寺」までの旅の食事という説もある。

しきたりとは誰が決めたかは不明だが、「人」が関わっていることは確かで、おかしいと思うことがあれば「人」によって是正されることも可能なのに、こと「この世」と「あの世」に関する問題は変わることなく語り継がれているようだ。

過 日の号でイスラム教の埋葬の仕方について書いたことがあるが、埋葬される際に副葬品を入れる習慣で様々な例があった。ゴルフが好きだった人のために木製の ゴルフクラブが製造販売されていたこともあるし、映画音楽がご趣味という人に数枚のDVDを納められたことも目にしたことがある。

ヨー ロッパで出来事だが、ある人物の遺言から「柩」の中に電話機を入れたケースがあった。当時は無線電話や携帯電話なんて夢物語だったことから有線の回線を接 続した本物の電話だったが、本人は「万が一生き返ったり、復活した場合の備え」と考えていたらしいが、数十年経った今でも電話は掛かって来ないそうであ る。

人生の黄昏という言葉があるが、迎えている秋とは何か物悲しい風情がある。命の燃焼と言われる紅葉の季節だからかもしれないが、また 厳しい寒さの冬を迎える。人生にあって「夜」や「冬」の時期を過ごすこともあるだろうが、朝を迎えない「夜」も春を迎えない「冬」もないので耐え忍ぶとい う言葉を噛み締めることも大切である。

今日の写真は日本神話に出て来る霊獣「八咫烏」で、熊野本宮大社の鳥居の横に掲げられているものを。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net