2003-04-27
悲しみのプロへ NO 412
昨日、写真技術の専門家と音響、照明のプロが来社され、様々な技術について教えていただくことになった。
私の隠れ家にあるミキサーやビデオ収録システムの細部に亘るチェックを受け、機材の最大限の活用方法をアドバイスくださった。
そこで学んだこと、それは、やはり「感性」に尽き、すべてがスタートするまでのプロセスに集約され、「かたち」として完成する前に仕事が終わっているということであった。
与えられたものを「かたち」にする前に、何を「与えられるか」という引き出し、つまりプロデュースこそにすべてがあるというプロの哲学は、また、改めて私の心の扉を開けてくれることになった。
社会経済の変化の中、アウトソーシングが潮流となっているようだが、プロと呼ばれる世界に共通していることは、「プロとしてよい仕事がしたい」ということで、「提供するもの」に「代価」が設定されるものではなく、「提供したいもの」に真価が生まれプロを求めて来るもの。
そんなプロの信条が稀薄しつつある社会は、今、確実に悪循環の体を成しているように思えてならない。
弊社には多くのセールスが来社されるが、商品知識や性能だけをプレゼンされるスタイルが大半。「あなたは、プロとして、この商品機材をどのように活用するべき?」と質問すると、言葉が詰まってしまうのは残念なところ。
「私だったら、こう活用する」と提案すると、「勉強になりました」と返されることが多く、「売るというセールスのプロでもないのか」と落胆することになる。
しかし、人に会う、人に接することは自身を磨くことにつながる。人には、その人にしかない素晴らしいものを持っているもの。それを感じることも嬉しいこと。それらは、見つけてあげることが相手を至福にさせること。
人との交流は、そんなことから始まるのだろうが、プロと呼ばれる人の世界は奥深いもの。「類」「共」「友」という文字があるが、代価でつながる関係は脆い もの。互いの存在を認め合う関係が結ばれた時、想像できないような喜びの仕事が完遂するもので究極のプロの世界へと広がって行く。
今、私の大きな喜びは、そんなプロ達がブレーンの中に増えてきたこと。近い将来にしなければならない大きな夢の実現に向かって、彼らの存在が何より心強いところ。
そんな彼等に「えにし」という言葉を思い浮かべながら感謝をし、この「独り言」をしたためているが、やっと揃った弊社の誇れるスタッフ達を、いよいよ本物の「悲しみのプロ」に育て上げなければならない時期が訪れたようで、来月から行動を開始しようと考えている。