2003-04-26
嫁 ぐ 日 NO 41
女性スタッフの結婚式の日が迫ってきた。弊社から3名が出席することになっているが、我々の仕事は大変。その日に私でなければならないという葬儀が入れば難しい。
そんなことを考えながら、共に出席する女性スタッフと話をしたが、弊社のミス・ホスピタリティと呼ばれる彼女は、感性が豊か過ぎるほど敏感。披露宴の会場に入っただけで涙が溢れてくるそうだ。
そこで私は、司会ではなく「司式」を担当する時に使用するフレーズを思い出した。
『涙は悲しい時にだけ流れ出るものではない。感情が極まった時に生まれ現れるもの。人が生きている、生かされている証し、輝き』
そんなことからすると豊かな感情を持ち合わせた人は、自身で感動することも多く、それは、一方で他人を感動させることの出来る資質があることになる。
これまで彼女が担当したお客様から頂戴したお言葉に、それらが凝縮されているが、溢れる涙を隣席で見る私も情に脆く、新郎新婦の前の席での光景が浮かんできて困っている。
式場の総支配人は、私の友人。私が祝辞を担当するとなれば、彼から司会者への強いプレッシャーが与えられていると予想している。
過去に男性社員の披露宴で、瀬戸内に面した美しい四国のホテルに行ったことがあるが、彼の実家が地元の有力者。地元の公私を代表する方々が出席され、町長の隣に座った私が立場上主賓ということで祝辞を述べたが、乾杯の後からが大変。
「何者ですか?」
そんな言葉を頂戴しながらお酒を勧められ、夫婦共々困惑したのも懐かしい。
はっきり言って、私は、トークのプロである。これまで多くの披露宴でスピーチを担当したが、最も驚かれるのは司会の方。スピーチを終えた司会者を見ると、真っ青になっていた姿を何度も目にした。
過去に書いたが、春に行われたある披露宴がお開きになった時、「ギャラを出すから秋の娘の披露宴に、新婦の父の友人ということで出席願えないか」という、とんでもないお願いをされ、親戚のおじさんとおばさん達に取り囲まれた時は参った。
私は、役者ではない。伝達出来る言葉というものは内面から生まれ出るもの。披露宴で「おめでとう」と言うことは心から祝福する人がするべきもの。
葬儀も婚礼も義理的立場の方が多く集まる歴史があるが、最近、これらの人が無駄な存在であることに気付かれた方が増え、中身の充実した「本義」が問われることになってきていることは望ましいこと。
可愛い女性スタッフの花嫁姿を想像しながら、心から「おめでとう」と伝わるスピーチを考えなければならないと思っている。