2014-05-20

半世紀前のこと  NO 3642


大阪は夕方から雨が降っている。明日も降り続くようだが、杖を手に傘を持って歩くのは大変である。

最近はテレビの中で旅番組が多い。昨夜も東北方面の幾つかの温泉が紹介されていたが、その中に昨秋に利用した気仙沼プラザホテルが紹介されていた。

不思議なご仏縁から気仙沼に立ち寄り、大震災で大きな被害に遭遇しながら復興の道に挑戦されていた「なにわのたこよし」さんを訪問したが、今年の初めにテレビ番組「人生の楽園」で採り上げられていたので懐かしかった。

訪問時に提案した「醤油味」のたこ焼きに興味を抱かれ試行されている映像も紹介されていたが、その後にどうなったのかも興味を抱いている。

私が小学生時代に食べた醤油味のたこ焼きは最高だった。10円で8個あったのも憶えているが、屋台で来られるおばさんのたこ焼きは「一人でも多くの人に食べて欲しいから」と、一人で20円以上は買うことが出来ない取り決めがあった。

その味を憶えているのは我が町で当時に生活していた人達だけだが、今でも「あれは最高だった」という思い出話に花が咲くので、その瞬間に「三丁目の夕日」の時代に突入する。

当時はダイハツのミゼットが登場していたが、中型の3輪トラックも多く走っていたし、ダイハツ、マツダ、くろがね、みずしまというメーカーを記憶している。

何度か助手席に乗せて貰った思い出もあるが、丸ハンドルではなくバーハンドルだったものもあり、アクセルが踏むタイプではなくバーハンドルのグリップのところのレバーだったので信じられない人も多いだろう。

方向指示器も点灯タイプではなく矢印みたいなものが飛び出す方式で、それこそ手動式というのだろうか、ワイヤーで直接動かすものだった。

中学時代になるとホンダの「カブ」が登場して人気が高まった。スポーツタイプの「カブ」も販売されたし、メーカーは不明だが「ランペット」というスポーツタイプのものも人気があったようである。
当時のオートバイは125CCと250CCがあったが、ホンダ、ヤマハ、カワサキ、メグロ、陸王などがあったように記憶しているし、ホンダがしばらくすると「ベンリー」「ドリーム」の他に「CB」と「C?」のスポーツタイプを販売したのを憶えている。

軽自動車にも「マツダ・クーペ」と「スバル360」が登場し、その後に鈴木自動車が「スズライト」を登場させた。

オートバイで印象に残っているのは「チェーンのないオートバイ」というキャッチコピーで販売していた「ライラック」で自動車のようなギアで駆動していたみたいである。

東南アジアで半年ほど勤務していた友人の息子が帰国していたので話したら、信じられないほどバイクが走っているし、信号を無視するので恐ろしいから戻りたくないと嘆いていた。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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