2003-04-13

選  挙    NO 398

仕事が終わったら、帰路に投票に行かなければならない。好天に恵まれた大阪、果たして投票率はどんな数字になるのだろうか。社会不況やイラク戦争などを背景に、有権者がどんな思いを抱いているのかのバロメーターになるだろう。

 さて、前にも書いたが、私は選挙で大嫌いなことが二つある。一つは当選が確定した時の「バンザイ」の光景で、「これで金儲けが出来る」というイメージが重なって仕方がないのである。

 もう一つは、ダルマの目に墨を入れること。告示日に隻眼に墨を入れ、当選確定で両目が開く。

 式典のプロとして様々な企画や演出に携わってきたが、上記の二つのことを行っている議員や選挙参謀の低次元さが滑稽でならないところ。

 プロとしてシナリオを描くなら、まずダルマは当選の暁に隻眼とする。そして、公約の実行という掲げた仕事を達成した時に両目を完成すると宣言させる。

 議員という仕事は、議員になった出発点より任期を終える終着点こそが重要。そこで振り返る自身の足跡にダルマの目の意味がある筈。

 私の友人の中にも何人かの議員がいるが、演説が「うまい」という人物は誰もいない。トーク術が素人なら構成するシナリオも素人。熱い思いを伝えるだけでは説得力が欠ける。   

最も低次元なタイプは絶叫型。聴衆を疲れさせては「口害」となる。爽やかな音楽をバックに語り掛け、「オヤスミ」いただく方が喜ばれる。

 多くの議員から応援演説を依頼されるが、これまでの人生で応えたのは1回だけ。それは私が就任していた職務の立場上で仕方のなかったこと。

 僭越なことを書いてしまうが、私は、応援演説をするべきではないと思っている。なぜなら、プロのトークは会場を掌握して引き込んでしまうもの。他の応援演説者だけではなく、当事者である候補者の点数をダウンさせてしまうからだ。

 過去にやった1回の時もそうだった。終わった後で、「あなたの後で喋るのが辛い」と候補者からこぼされた。

 間もなくイラク戦争の終結が予想されるが、テレビや新聞で伝えられる情報を見ていると、一市民として投票に行くことの出来る社会に手を合わせるべきだろうし、その合掌の姿の中に、戦争犠牲者への哀悼の心を併せたいと願っている。

 何かの本で印象に残っている言葉があった。確か、次のように書かれてあったと思う。

 『選挙への立候補は、羞恥心を捨てることが出来なければ無理なこと。なぜなら、自分を支持しない人が多くいることを知ることになるから』
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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