2003-03-30
手 直 し NO 387
弊社に四国と東北出身の新人がいる。訛りが少しあるが、基本的なことを教えればアナウンスにも挑戦可能だと思っている。
しかし、彼らに困った問題がある。
「行ってきます」と出掛けてしばらくすると電話が入り、「僕たち、今、何処にいるか分からなくなっているんです」
つまり、大阪の地理が弱いのである。そんなところから地図を持たせ、懇切丁寧に教えてから出発をさせなければならず、先輩の女性スタッフが「しっかりしなさい」と檄を飛ばしていた。
スタッフ達は、本当によく働いてくれて感謝している。今朝も夜中の3時頃までお客様のお家に参上していたスタッフが2名おり、彼らが帰社するのを事務所で 待っていたスタッフもいたが、本当に葬祭業という仕事は不規則で、昼食なんてまともな時間に食べられることはなく、何より体調を崩さないようにと心配して いる。
現在、全員がグロッキー状態。それぞれの担当責任者が「自分の責任で」と行動する姿勢に、「大変そうだから」とみんなが協力しているコミュニケーションが生まれ、新人達の成長に好影響となってくれているようだ。
さて、故人の人生を表現するナレーションの創作は、本当に難しいもの。スタッフの取材に基いて書き上げて式場に行くと、どうもおかしいということが多く発生する。
その要因の大半が「核家族」という問題にあるようで、生前のコミュニケーションの差異が明白に表れ、原稿の変更を余儀なくされることもある。
ご伴侶と子供達の思いが異なることが少なくない。両者が「触れて欲しい」「触れて欲しくない」と対立することもあるが、こんな場合は両者に抵抗のないストーリーが無難な解決。
後で揉め事になるような「種」はそれこそ禁句。そんな情報を伝わる空気で察する取材能力が求められる。
今、明日、私が担当する2件の葬儀のナレーションを手直ししている。それは、お通夜から帰社したスタッフの情報から、ある部分を変更することにしたから。
ちょっとした事情が絡み、スタッフが苦悩している。そこで差し障りのないストーリーでつなぐことにしたが、こんな情報を把握してきたスタッフが成長しているとも言えるだろう。
シナリオを創作する時、情報過多も困るもの。「これも言って」「あれも伝えて」となってしまうと整理をしなければならない。自分の思いを伝えたことが登場しなかったら不満になる。
そこで、取材前の「おことわり」が重要になる。取材するなら誰でも出来るが、「おことわり」と「聞き流し」が出来なければ合格点は与えられない。
ここで、これらの結論を申し上げる。答えはひとつ。創作者自身が取材をすることがベターなのである。