2013-08-18

次々に  NO 3371


次々に  NO 3371
 銭湯のお気に入りの温めの湯はこげ茶色の「薬宝湯」で「当帰末」と「川?末」がベースのなったものだった。

  この湯船に幼い初孫を伴った際に忘れられない出来事があった。同じ色の「薬宝湯」で底が見えなかったのだが、「熱くないからいいね」と機嫌よく入ったの に、突然「ギャー」と泣き始めたので何事がと確かめたら、底の排水口に足の裏を吸い込まれており、それからはその湯船に一切入らなくなってしまった発端と なった。

 減量に取り組んでいるが、前回の計測より400グラム減っており、6月の初めからすれば約4キロの減量となった。もう少し努力するつもりだが、ちょっと誘惑に負けるとすぐに戻ってしまうのだから気を付けたいと考えている。

「会長のコラム」ではトランプに秘められた逸話について触れ、「幸せ列車」のコラムでは「この世」を出立する際の「あの世」に関する様々な思慮を書いたが、エジプトが「仏教国」だったら果たして今回のような出来事が起きていただろうかと思っている。

 毎日様々な事件が起きている。マイクロバスが転落事故を起こし、茨城県では小型飛行機の墜落事故が発生していた。また、福知山市で起きた露店の爆発事故の被害者の女性が亡くなられた報道もあったし、北海道の鉄道では豪雨による脱線事故が起きていた。

 今日あることは本当に幸運なことと何度も書いたが、災難とは何時何処で遭遇するかもしれないこと。「乗っていなければ」「行かなかったら」という「たら」と「れば」で後悔することがないように願いたいものだ。

 昔、テレビのゴルフ番組で「たら・れば」ショットというコーナーがあった。それを知ってからゴルフ仲間に「スコア」から「たら・れば」を考慮したら誰もが一桁ハンディになれると言って笑われたことがあった。

「あ そこでOBを打っていなければ」「あのパットが入っていたら」などと振り返る「たら・れば」だが、ゴルフだったらよいが、人生だったら取り返しの付かない 重要なことである。「この世」に生かされるには「たら・れば」ないように、後悔しないような人生を過ごしたいものである。

 今日の結びは 救急車について触れておこう。過日に診察を受けた病院の壁にポスターが貼られ、そこに「救急車はタクシーではありません」と表記されていた。不必要なのに タクシー代わりに119番に電話する人達が多いそうで、本当に必要な患者さん達に迷惑が及ぶのだから大変である。

 自慢にならないことだ が、これまでの人生にあって救急車に4回お世話になったことがある。体験からすると横になって天井を見ながらサイレンの音を耳にするとかなりのストレスと なる。正直言って乗り心地がよくない。乗用車の後部座席とは全く異なる世界で、横になって乗ることがどれほど苦痛を伴うかは体験しなければ理解出来ないも のである。

 もうお世話になることはないと思うが、今年の夏の猛暑から熱中症で搬送された人が信じられないほど多かったので、救急車の出動も大変だったと想像する。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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