2013-08-17

布施の心  NO 3370


 会長のコラムでは「信じなければ」というタイトルで「あの世」のことに触れ、「幸せ列車」のコラムには「死角」と題して問題が秘められている「死亡届」の盲点について指摘した。

 昨日の「独り言」や会長のコラムで活動している「協会」について触れたが、想像以上に開いてくださった方が多かったようで、朝の喫茶店でも話題になったのでびっくりすることになった。

「命の教育」や「あの世の教育」を葬儀に従事する立場で社会に訴えるのだから話題性が強いみたいで、近々にメールマガジンを発信する予定なのでご興味があれば是非お申込みをと願っている。

HP上で公開するには差し障るような内容もあるのでメールマガジンに限定する訳だが、
葬儀に関する様々な問題を書こうと考えている。

  さて、お寺へ参拝して頂戴して来た小冊子に学ばなければならないことが分かり易く解説されていたので紹介しよう。東京の転法舎の刊行物で、表紙に「お施餓 鬼(施食会)のしおり」「施しを我が喜びとする」とあり、終章の部分に「わかちあうよろこび」と題して「施し」について書かれていた。

『「施餓鬼会」あるいは「施食会(せじきえ)」とは読んで字のごとく「餓鬼に施す」という意味です。自分の中にある「貯めることしか考えない欲深いこころを反省し、他に施す大切さを再認識する」法要ともいえましょう』

『この日、寺院には多くの檀信徒の皆さんが参加し、盛大に法要を営み、ともに「施し合い」のこころを再認識し、実行することを仏さまの前で誓います』

『お金も物も使わず、しかも誰にでも簡単にできる布施の方法があります。この施しを仏教では「無財の七施」といい、七つの施せるものがあるといっています』

『それは「捨身施(しゃしんせ)」「心慮施(しんりょせ)」「和顔施(わがんせ)」「慈眼施(じげんせ)」「愛語施(あいごせ)」「房舎施(ぼうしゃせ)」「床座施(しょうざせ)」の七つです』

『捨身施とは、周囲に困っている人があれば親切にし、世話をすること。労力を提供して無償で奉仕活動をする』

『心慮施とは、人の喜びや悲しみをわかちあう細やかな心づかいをする。和顔施とは、人に穏やかな心と微笑んで接する心で応対すること。慈眼施とは、やさしい眼差しで相手に接すること』

『愛語施とは、荒々しい乱暴な言葉は決して自分のためになりませんし、相手をも傷つけるので使わないこと。いいかえれば言葉を大切にすること。房捨施とは、人の知りたがっている、お互いの仕事や生きざまを公開し合うことです。誤解や不祥事がなくなるでしょう』 

『床座施とは、人に自分の席を譲るように、相手の欲しがっているもので自分が持っているものを分かち合うことです』

『このように自分に何か人に与えるものがあり、それを相手が欲し、自らも恩を着せずに施す気持ちがあれば、それを相手に与えて共に喜びを分かち合うことが「布施」です』

『こうした施しは誰にでもできることですが、いざ自分が行おうとすると自分本位の我欲に妨げられて、なかなか難しいのではないでしょうか。お互いが困っている中で助け合い、喜び合うのが本当の布施です』

『人に施すとは、金品を相手にあげるのではなく、差し上げて喜んでいただくと同時に自分も喜びを味わうことです』

『ご先祖さまやすべての精霊を供養する「お施餓鬼(施食会)」の法要を通じて、布施の心を学び、他を思う慈悲の心を養ってまいりましょう。施すことによって、生きとし生けるすべてに感謝し、喜びを分かち合えるのではないでしょうか』

 上記の『』内の文章は「茂木良純さん」の作だが、奪い合いから与え合いの世界の到来を説く仏教ならではの心の持ち方のような思いを抱いている。
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