2011-10-12

嫌われても  NO 2720


 お寺のご葬儀に参列。境内にある直径50センチぐらいの銀杏の木の横にあった椅子に座り、数百年の歴史がある山門を見つめていた。

 奈良の唐招提寺のような雰囲気を醸し出す屋根。このお寺で長年に亘って坊守さんをお務めになられた故人。ナレーションでも優しいお人柄と偉大な社会貢献が語られた。

 多くの僧籍にあられる方々が参列されている。大阪府、大阪市、生野区の仏教会代表に続き、宗教者の皆様のご焼香が進められた。

 私の後方で女性の咳き込む声が。スタッフの誰も気付かない。そこで視線の合った女性スタッフを呼び、急いでお茶をと命じた。

 こんなケースでお湯、水、咽喉飴などの差出しはサービスの基本。式場の全体をフォローする心配りが求められる仕事でもある。

 地面を這う電源の配線があった。それに躓かないように処置がされてはいるが、何せコンクリートの上。粘着テープの効能も期待出来ない状態だった。

 その一部が剥がれ出した。気付いた若い女性スタッフがすぐに対応したが、焼香を終えた後に呼んで指導を。白い手袋のままで触れたらいけないと駄目出しをした。

 少しでも地面に触れた手袋で、誘導などの仕草や行動をするのは失礼になる。こんなケースでは手袋を外して素手で行い、手をきれいにしてから手袋を着けるべきである。

 うるさいと思われているだろうが、こんな指導をするのは私の残された仕事。同業他社よりも格段に進化したサービス提供を目指す弊社。それは究極を求める私のこれまでの信念と哲学でもあった。

  まだまだ未熟。恥ずかしいが、それが現実だろう。多くの方々から「さすがに高級葬儀」というお言葉を頂戴してはいるが、胡坐を掻かずにずっと正座で進んで 欲しいもの。私の好きな美学として「後ろ姿が物語る」というものがあるが、葬儀という仕事は何よりこの考え方が大切な筈。

 先日に会った孫から電話が。「結婚記念日、おめでとう」という内容だったが、娘の差し金かなと思ったらそうではなく、一緒に昼食をしていた際の我々夫婦の会話を覚えていたようでびっくり。

 来春に小学校に入学をする二番目の孫だが、公文式の算数で5年生の内容まで進んでいるというので驚いた。積み木などで遊ぶ際にも、自分で設計図を書いてから始めるというので変わっている。アメリカで生まれたことは関係ないと考えているのだが。

 それぞれの個性の異なりは当たり前。それを伸び伸びと見守ってやるのが我々の立場。孫を持って葬儀に対する考え方が大きく変化した私。喪主を体験して一人前の葬儀屋。孫を持って初めて本物の葬儀屋なんてことを若い人達に伝えている。

 そうそう、孫達との昼食時に地震があったことを書いたが、我々が大阪を離れていた日の夕方に、大阪府の南河内を震源とする震度2から3の地震があったことを知った。

 気象庁の地震情報を確認してみると、一日に驚くほどの地震が発生していることが分かる。今、静岡で地震学会が開催され、東北の巨大地震と大津波を想定出来なかったと自己批判から始まったそう。

 地震とは本当に恐ろしいもの。そのエネルギーを分散して小さなマグニチュードで発生してくれたらと願うばかり。全国に点在する原子力発電所。それこそ「揺れる原発問題」ではないだろうか。

久世栄三郎の独り言(携帯版)
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