2009-05-03

手を合わすことばかり  NO 2409


 昨号では九州の塾生が関わる式場のオープンに関して西に向かって手を合わせたが、同日にお父様の悲しいご葬儀が行われていた同じ九州の塾生がいたことを知ってびっくり、改めて西に向かって手を合わせた。

 仕事を休み、いつも病院に運んでいたのに深夜のご終焉で看取れなかったことは心残りだろうが、それまでの残された時間にお互いが精一杯の絆の交流がなされたと思っている。

 ネットを通じて知り合った頃からお父様のお身体について伺っていたが、メールや言葉の端々に感じるお父様への思いは特別なもので、それだけに悲しみが募るお別れだったと拝察申し上げる。

「人は辛い思いをしただけ人にやさしくなれるそうです」という司会のフレーズがあるが、大切な家族を喪って遺族という立場を体験された彼女は、間違いなくやさしさがグレードアップした司会者となるだろうと期待する。

 中国のことわざに「三つの不幸がある。若くして父を喪うこと。中年にして妻を喪うこと。老いて子なきこと」というのがあるが、如何にも中国らしい男社会に生まれた背景があるようで、中年に関してはちょっと身勝手な感じを抱いてしまう。

 先人達は感銘を受ける素晴らしい言葉の数々を残してくれている。「残す」は本人が死を迎えれば「遺す」に変るが、その言葉だけで自身が進む道を知ることも少なくないだろう。

「幸福は身体にとってはためになる。しかし、精神の力を発達させるものは悲しみだ」というブルーストの言葉は上述の「人は辛い・・」につながるとも言えるだろう。

 残酷な病魔に侵されて入院中の私だが、どんなに後遺症が残ろうと「幸運」であったことは確かで、ドストエフスキーの「人は自分が幸福であることを知らないから不幸なのである」という言葉から、自身の入院生活の幸せを噛み締めているのである。

 今日も数組の方々が来院くださって感謝の合掌をしたが、私を心配くださる方々の存在があるだけでどれだけ「不幸でないか」ということが理解出来る。

  葬儀の仕事に従事する私が心の中で大切にしてきた言葉がロマン・ロランの「幸福とは魂の香りであり、歌う心の調和である。そして、魂の音楽で一番美しいの は慈愛である」で、私が監修した葬儀用音楽CD「慈曲」のシナリオを描いた際にも重要なキーワードになっていた歴史があった。

「ご自愛ください」という手紙の相手に伝える一般的な言葉の存在もあるが、他人に対する「慈しみ」の心は何より大切なハートであり、それこそが「悲しみ」を理解しようとする行動のキーワードであると言えるだろう。

 広島に在する塾生が上述の両方の「式」に顔を出してくれたそうだが、その彼女の行動に対しても西に向かって手を合わそう。

 明日のリハビリは9時5分からST、16時からPTのふたつだけ。お昼を中心にした間の待ち時間が大変だ。果たしてどのように過ごそうか?
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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