2009-01-31

明日から2月  NO 2356


 日々に目が覚めるのが早くなっている。今朝も時計を確認したら6時過ぎ、元々睡眠時間が短いが、それにしてもこんな変化の兆候に戸惑いの?も。

  残された時間を有効に、使命に尽力を費やせ、という神様から命じられたことかもしれないが、今、私の使命は葬儀の司会に於ける「命の伝達」だろう。これま でにも行動してきたが、全国の司会者さん達に、今後に急変する葬儀司会の世界を指導伝授することが出来たらとも考えている。

 ある意味、私は罪作りな人間であるかもしれない。指導を求めて来社した人達への開口一番が「あなたはここへやって来て幸せかもしれませんが、不幸になって帰ることになるかもしれませんよ」と言うからだ。

 受講者の大半が「不幸になりました」「終わってから不幸という意味が理解できました」と感想を述べられる事実、それは、葬儀の司会の責務の重大さだけではなく、それまでにされてきた司会がどれほど無理解だったという事実結果に目覚められるからだ。

  衝撃を与えられると俗に言われるカルチャーショックに陥ることもあるが、その瞬間からマイクを握る気がしなくなったと嘆かれた司会者がどれほど多くあった だろうか。しかし、そこからブライダル司会者以上に誇り高い仕事であると認識され、技術進化と共に「人を送る」ことへの人間性の価値観に目覚め、全く別人 のような司会者として成長された人達も少なくなく、それは私の使命感の中で「生きた証し」の財産ともなっている。

 さて、昨日の葬儀でのことだった。94歳のお婆ちゃんへのお孫さん達のメッセージが数通あったが、どれも素晴らしい内容で<お婆ちゃんが喜ばれるだろう>と思っていたら、代読をせずにお柩の中に納められることになっていた。

 やがてある方のアドバイスで1通だけ代読することになり、躊躇されていたご本人から名前を公表しないことでとご了解に進み、式次第の中でナレーションの前に代読する運びとなった。

 そして、その時、ナレーターを担当した女性司会者の声が流れると静かに嗚咽が聞こえてきた。

  さぞかし辛かったことだろうと拝察申し上げるが、お婆ちゃんのお葬式の中での代読に「やめるべきだった」という後悔は生じなかった筈で、私のしたためた感 謝と送る言葉が葬儀式の中で代読されたという事実は、きっと彼女のこれからの人生にあられて、その思い出が彼女だけの「形見」となろうし、ご家族、ご親 戚、会葬者の皆さんへの思い出という名の形見のプレゼントになったように思えてならず、ここに葬送の儀式の大切なシーンという「ひとこま」があるのではと 再認識した出来事となった。

 午後から雨、夜の神戸から帰る頃には大雨、気温が高くて寒い思いはしなかったが、また冷え込みが近付いているようなので風邪に気をつけよう。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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