2008-11-08

システムの復元を?  NO 2309


 檀家総代さんの葬儀となれば、数十箇寺もある仏教宗派の組内を代表されるお寺様や総代さん達も会葬に来られる。そんな場合には単なる代表焼香ではなく、その前に別格として考えることが大切で、開式前に最前列に指定席を設けておく配慮も必要となる。

 今回は、組内代表のご住職と総代会の代表の方、同寺院の総代さん達、ご導師を務められるご住職の奥様の順に進め、そこで区切って各種団体代表者焼香へと入った。

  このような進行順位をする葬儀司会者はきっと皆無だろう。大半が各種団体代表焼香の中で扱ってしまい、地域代表や議員の後に組み入れられている筈だが、葬 儀という場にあって「宗教」とは特別な存在として考慮するべきが初歩的な基本。それは、仏式の葬儀にあっても、宮司さん、神父さん、牧師さん達が参列され ても同じだと考えたいもの、つまり「宗教者」に対する「礼節」の基本ということである。

ご弔電の代読と焼香順位は私が担当したが、ナレーションは女性司会者が担当し、その途中で録音された故人の歌声が流れる形式で進められたが、ただ残念に思ったのは、音楽に造詣深い娘様が開式前にされたという献唱を葬儀式の中に組み入れたかったこと。

 一方で、原稿取材の中に大阪弁で書かれたご臨終時のお言葉があったが、その部分を語る「味」は彼女ならではのもの。会葬に来られていた近所の方が「最高にうまい」と褒めてくださっていた。

 閉式前頃に声の調子が最悪、そこで謝辞の代行を任せることになったが、アドリブが可能なレベルなので安心していた。 

  この数日、ずっと自宅で無理をしないように静養中だが、会社が忙しくて大変という情報が入るとスタッフ達に申し訳なく思う。今、銭湯から帰ってこの「独り 言」を打ち込んでいるが、日付が変って土曜日となるので午前中に真向かいの医院で点滴を受け、何とか遠方の御通夜に行けたらと考えている。

「退 屈しのぎに」と届けてくださった多くの書物がある。その中の一冊の一文に目が留まった。それはマーク・トウェインが言った「問題が起こるのは、知らないこ とが原因ではない。知っていると思い込んでいることが原因だ」ということで、思い込みは、自明の理の姿を装うことがあるとの付記もあり考えさせられること になった。

 さて、今日の結びに恥ずかしいことを吐露するが、先月の末、娘がアメリカに在住していた頃に送られてきた孫達の写真ファイル をCDに移し変えようとしたら、パソコンが何やらおかしくなり、メールの返信の際に不都合が発生し、一部の返信が出来ずに困っている。そこで「困った時 は」という解説書を開けて模索しているが、どうもセキュリティシステムに原因があるようで、何とか回復できそうな状態である。

 そんな事情で、御礼の送信をしなければならない方々に大変な失礼となっている。取り敢えず、この「独り言」で「ごめんなさい」と手を合わせます・・・合掌
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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