2008-10-05

秋色濃くなりゆく中で  NO 2283


 朝からいつもの医院に行った。服用する薬が土曜日で切れるからだが、2週間毎に行く度に日や時間の流れが速く感じてしまう。

 久し振りに先生の診察を受ける。胸と背中に聴診器を当てることと血圧測定だけだったが、「互いにメタボに気をつけましょう」とのお言葉に続いて、野菜を食することと歩きなさいとご指導を受けた。

 インフルエンザ予防接種の予約についての案内ポスターがあり、ついでに予約をしてきたが、支払いをする前に奥様から<!?>というお話しがあった。

「雑誌の中でね、あなたのことが採り上げられていたことを偶然に読んだわ。葬儀業界の中で特別な存在として紹介されていたわよ」

 それがどんな雑誌なのかは分からなかったが、考えられることはルポライターが葬儀のことを採り上げた特集記事のようで、何度か取材を受けた歴史があるところからどうやら勝手に書いたようである。

 悪く書かれていなかったようで安堵したが、何か「?」の残る出来事で、近日中に「書いておいたよ」と、本人からその本が送られてくるかもしれない。

  一昨日、他府県のある女性司会者から「お別れの会」の司会について問い合わせがあった。過去に何度か指導したことやメールでの質問を受けた歴史もあり、難 しい事情が秘められた今回の進行シナリオについてアドバイスをしておいたが、うまく運ぶことが出来るようにと手を合わす。

 また、一方で、大阪城公園の近くにある「いずみホール」で行われるコンサートの司会を担当される女性からのメールもあり、彼女が企画されたシナリオについてアドバイスをすることになったが、チケットを頂戴したので本番の日に行ってみようと楽しみにしている。

 頼られていることは生きている証し。今日のお医者さんのご指導ではないが、「60肩?」の痛みに苦しんでも、まだまだ寿命があるみたいで「来る人拒まず」の姿勢で生きた証しとして指導やアドバイスを続けるつもりだ。

 それにしても葬儀に対する社会変化が著しい。30年ほど前に書いた次の一文がいよいよ強くなってきたようだ。

「日本の葬儀は『野辺の送り』で、小高い丘を肩を落として柩と共に歩み行く情景が我が国の葬送形式のイメージであり、会葬に行ってご出棺を見送ることが参列であるが、焼香することが参列と考える人達が多くなりつつある」

 それは、焼香という行動で「参列した」という自己納得の世界であり、義理的立場なら仕方がないが、少なくとも「えにし」に結ばれたと考えるならご出棺を見送りたいものである。

 あるお寺で社葬を担当した際のことだが、900名もの会葬者が焼香されたのに、ご出棺を見送られたのは100人ほど。一方に、100人の会葬者で80人が見送られたという葬儀もあり、約1割と8割という現実が物語る背景に故人のお人柄が?なんてことを考えてしまう。

 世の中が便利になることは結構なことだが、会葬者のマナーの低下が著しいのは悲しいことで、それらは全国の葬儀司会者達が感じているだろう。

 ポケットベルの時代にも苦労したが、携帯電話の普及に伴い、電車の中など公共の場でのマナーモードが常識になっているのに、お通夜や葬儀でとんでもない御仁がおられることも事実である。

「程 なく開式でございます。恐れ入りますが携帯電話につきましてはよろしくお願い申し上げます」と始めても、賑やかな着メロが式場に流れることも少なくなく、 中にはシーンとしている中で参列者全員に聞こえるのに「今、取引先の葬儀にきているのよ。お経が聞こえるでしょう。終わったら電話するわ」と言われた女性 には皆さんの視線が集まるのは当たり前。ああ、嘆かわしきかな品格の欠如。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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