2007-10-14

残念な試合に  NO 2004


 黒川紀章さんのご訃報で、ふと、思い出したことがあった。随分と前の話だが、新潟県の組織団体から講演依頼を受け、上野駅から上越新幹線で燕三条駅まで行き、そこから会場へ向かう車中の会話に黒川さんの話題が出てきた。

 その会場が黒川さんの設計であり、その建設費を伺ってびっくり。それは、京都から新潟までつながる国道8号線沿いに存在していた立派なビル。到着して中に入って驚きを新たにした出来事だった。

 幹事の方からビル内を案内され、当時からずば抜けて著名だった建築家が設計した建物に、強烈な独創性を感じた私であった。

 また、奥さんである若尾文子さんの映画を若かりし頃に何度か観たこともあり、偉大な建築家のご逝去に手を合わそう。

 毎日新聞の朝刊に「墓参りサボる理由は千の風」というような川柳があって、思わず<うまい!>と苦笑したが、少し流行している「千の風にのって」について考えてみたい。

  昨年の紅白でブレーク、今年になってからお通夜のお説教でその話題が登場することも少なくなく、「お墓にいない」という歌詞に対する抵抗感を訴えられるお 寺様と、「故人は、いつも皆様のお近くにおられて見守ってくださいますよ」と、やさしく呼び掛けられるお寺様とに分かれているのが現実である。

 我々の仕事に従事して仲間の中にも音楽の造詣深い人達も多く、ある会合であの「曲」についての討論会が始まったことがあった。

「お墓にいないという宗教的な問題否定ではなく、歌っておられるクラシックの歌い手さんのハートが伝わって来ないという意見が強く、それは、ただクラシック調に歌っておられるだけであり、本当の悲しみをご存じないからではという結論に至った。

 そんなところから、ご遺族から「あの曲を流してください」と依頼されても、歌の入っていない旋律だけを流しているところが断然に多いという事実を知った。

  さて、最近、国際的なスポーツ大会で対戦国両者の国家を歌う光景を目にすると、参加者全員が歌うのではなく、誰か歌手が独唱するケースが増えているが、我 が国家「君が代」については、やはり厳粛で荘厳な演奏バージョンをバックに歌う方がマッチするようで、先日の内藤選手と亀田選手の試合での独唱や、その前 の和田アキ子さんの独唱も聞いたが、間違いなく伴奏入りの方がよく、途中で太鼓の音が流れてくるところが「君が代」らしいところのような気がしてならない 私である。

 それにしても、あの試合はひどかった。試合前、レフリーを挟んで両選手と関係者がリング中央に集まる場面があったが、そこで亀田選手のオヤジさんが喧嘩腰で威圧する姿に唖然。<何と気の毒家族なんだ!>と哀れみさえ抱いてしまった。 

  これらに拍車を掛けたのがTBSというテレビ局の姿勢。近所の銭湯、喫茶店、料理屋さんから食堂まで、低次元で情けないテレビ局の演出やプロデュースをど れだけの人が嘲笑していたかを知って欲しいものであり、選手、局の両者に羞恥心が全く欠如していたと思うし、こんな失礼なものを公共の電波を使って放送す るなと言いたい真情を抱き、内藤選手が気の毒でならず同情してしまった試合だった。

 過去に世界チャンピョンになった選手の親戚のご葬儀を担当し、誘われてゴルフコンペに参加したこともあったが、そこでの彼らはスポーツマンであり、言葉はうまくはなかったが、年上の人に対して敬語で話す懸命な姿に感じ入ったものであった。

 さて、ジムを含めてよい方向に変化することを期待しよう。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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