2007-09-05

マンネリ禁止  NO 1964


 新人スタッフ達が式場の片付けをしている時、玄関前で若い男性の方が中を覗いておられるのに気付き、「どうぞ、中へ」とお迎えした。

 ご用件を拝聴したらお気の毒な出来事、赤ちゃんがこの世に誕生される前に亡くなってしまったそうで、小さな「柩」がありませんかということだった。

 弊社に来られる前、近くの葬儀社さんに確認されたそうだが、そこには在庫がなかったそうで、少し距離の離れた弊社までお越しくださっていた。

 進めなければならない法的な手続きを説明、経費を掛けない方法として、我々業者がタッチせず、火葬場には「ご本人お申し込み」という手段があることもお話し、絶対に必要となるものだけを提案申し上げた。

 やがて到着したベテラン社員が対応、これからの進め方については本社スタッフに任せておいたが、他者では絶対にやらない対応をしてくれただろうと確信している。

  正直に言って、小さな柩なんて在庫を持ちたくないものである。そんな悲しいご不幸を担当するだけでどれだけのプレッシャーが生まれるか測り知れない問題だ からで、ご依頼があってから特注で製作して貰うケースを考えたいが、時には時間の制約が生じる事情にもぶつかり、その度に辛い思いを体験することになる。

 我々葬祭業にあって絶対条件として理解したいのが「マンネリ」の打破、我々には日常的な仕事であってもお客様側は「非日常的」なこと。そこに初めて体験される「悲嘆」の心理が生じるのだから大変、細心の配慮こそが基本的サービスの原点とも言えるだろう。

 過去に幼稚園に通うお子さんを亡くされた方があった。もう十年近くの月日が流れているが、先月に喫茶店であった際、誕生日には必ずケーキをお供えされ、お墓とお寺にお参りに行かれていると伺った。

 先天的な悲しい病が命を奪ってしまったのだが、生きていると考えると、もう中学生になっている。ご夫婦にとっての救いは、その後に新しい命を授かったことだが、その子供さんは2人分の愛情で育まれているだろう。

一 方で、お盆の時期が過ぎた頃にお会いした私と同年代の女性との会話。彼女は今春にご主人に先立たれ、今夏に初盆を迎えられたのだが、「あのお葬式の時から 時間が停止してしまったようなの。法事を大切に務めているのだけど、亡くなったことを『これでもか』というように知らしめられることも辛いことでね。法事 が終わって、皆さんが帰った後にお仏壇に向かって『あなた、いつまでもこの家の中に居て私を守ってね』とお願いしてるのよ。私って、おかしいかな?」と質 問を受け、表札もそのままにして、毎朝ご主人の靴を磨いてあげてくださいとアドバイスをするとニコッとされた。

「人が居なくなるって、寂しいものね。家の中の家財道具のすべてに主人との思い出があるし、テレビの旅行番組で2人で行ったことのある温泉でも観れば、もう涙が出て仕方がないの」

 夫婦の歩まれた歴史は「えにし」が全て、元々は他人であったのに両親や兄弟よりも長い年月を共に過ごし、絆が強まる。そんな伴侶に先立たれると、その全ての思い出が悲しく蘇ってくるのである。

 葬儀社とは、いやはや大変な仕事である。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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